ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『夢の涯てまでも』(1991) ロビー・ミューラー:撮影 ヴィム・ヴェンダース:監督

 めっちゃ長い。287分である。観終わる頃には、この映画はどんな始まり方をしていたのかも忘れてしまっている。というか、登場人物らがヨーロッパ~アジア~アメリカ~オーストラリアと移動しまくる前半と、「夢の視覚データ化」~「脳内の映像データの抽出」を研究するという後半とがつながらない。
 そもそも、冒頭に語られた「インドの人工衛星」が制御不能になり、地上に落下しそうだ、それは「この世の終わり」になるかもしれない、ということも、いっしゅんデジタルデータ送信がストップしてしまっただけで、すぐに復旧してしまって「ありゃあ何だったんだ」ということになる。
 「ありゃあ何だったんだ」ということなら、さいしょに銀行強盗で大金をせしめた2人組にしても、いつの間にか自分らが手にした「大金」のことなどど~でもよくなってしまっているし、その銀行強盗の一人にせよ、ドイツの探偵にせよ、何でまたオーストラリアまでいっしょに来てしまうのか、わけがわからない。
 まあヴェンダース監督は次の『時の翼にのって』でも、「あのナチスの<武器弾薬>はどうなってしまったのよ?」とか、いろいろつじつまの合わない(不明な)映画をつくっているし、「そういうストーリーなんて、完成された一本の映画の前では意味のないものだ」とでも思っているのかもしれない。
 たしかに、『時の翼にのって』もそういうことを気にしなければけっこう面白い映画だったと思うし、この『夢の涯てまでも』だって、後半のオーストラリアの<研究所>の展開を重く見ずに、前半だけならなかなか楽しい映画だったといえると思う。
 特に前半は、ロビー・ミューラーの撮影がとっても素晴らしいわけで、そんな画面の美しさを眺めているだけでも満足できる。

 いちおう、1991年製作の映画だけれども、映画の時制は「1999年」と、ちょっとばかり「近未来SF」的にもなっているわけで、探偵が使っている「GPS」みたいな「人物探索装置」みたいなのとか、楽しいといえば楽しい。
 しかし、ヴェンダース監督はここでは(整合性は取れていないにしても)ストーリーをこそ重視して演出しているようで、だからこそ「ストーリーがつながらないぜ!」という感想を生むことになっているのではないのか。これが前作の『ベルリン・天使の詩』では、ストーリーよりも映像展開の醸し出すポエジーのようなものこそを大事にしていたようで、だからこそ『ベルリン・天使の詩』は傑作ではないか、という感想をも生み出したように思う。
 それがこの『夢の涯てまでも』では、特にまさにSF的な展開になる後半の「映像伝達」で、ストーリーを大事にするSF映画的になってしまっていて、そこにこれまでのヴェンダース映画との「差異」があるのではなかっただろうか。
 まあストーリーを離れても、「映像伝達」で、(NHKが協力したらしい)脳内映像を描く「コンピュータ・グラフィック」に力を入れたわけなのだろうが、まさに「技術に溺れた」ところがあったのではないのか。例えばここで、キューブリックの『2001年宇宙の旅』での「スターゲイト」の場面のような、「まだ誰も観たことのないようなヴィジョン」を描けていれば、この作品全体の印象もずいぶん変わったのではないかとは思う
 今、ここまで書いていて思いついたのだけれども(すいません、まだ観たばかりなので考えがまとまってなかった)、ヴェンダース監督はこの作品で、『2001年宇宙の旅』が「外宇宙」を描いたのなら、その「内宇宙」版をつくろうとしたのではないだろうか(そこで「インドの人工衛星」の話も活きてきたのかもしれないし、ラストシーンが「宇宙船内」だった意味もある)。だからこそ、脳内映像を描く「コンピュータ・グラフィック」がパワー不足だったのではないかと思ってしまう。パワー不足というか、そこにヴェンダースキューブリックとの「イマジネーション」の差異があったのでは、とは思ってしまう。
 盲目の母のために見せる(体験させる)映像の中に、「窓からの光、青いターバン、黄色の服の人物」という、フェルメールのエッセンスを詰め込んだシーンがあったけれども、そのシーンは美しかった。

 出演者の中に、次作『時の翼にのって』と同じヴィンター(英語読みでウィンター)という探偵を、同じリュディガー・フォーグラーが演じたわけだけれども、彼こそはこの『夢の涯てまでも』と『時の翼にのって』とをリンクさせる、「特別の存在」だったのではないかと思うようになった。

 そう、去年の暮れにヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』を観たとき、キンクスの曲で「Sunny Afternoon」がかかったのを聴いて、わたしはキンクスならばここは「Days」をかけるべきだろうと思ったのだったが、そのキンクスの「Days」、この『夢の涯てまでも』でしっかり使われていて、皆のセレブレーションのときに皆で演奏、歌唱していたのだった。やっぱヴェンダースキンクスが好きなんだなあ。