ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ノマドランド』(2021) クロエ・ジャオ:監督

 この作品は、2017年にジェシカ・ブルーダーという人が発表したノンフィクション「ノマド: 漂流する高齢労働者たち(Nomadland: Surviving America in the Twenty-First Century)」の映画化。
 まず、この映画のプロデューサーであり主役を演じたフランシス・マクドーマンドがこのノンフィクションを読み、すぐに映画化権を獲得し、監督に中国出身のクロエ・ジャオを抜擢した。
 出演したプロの俳優はフランシス・マクドーマンドデヴィッド・ストラザーンだけで、他の出演者は主に原作の「ノマド: 漂流する高齢労働者たち」に登場した人たちが、そのままの名前で出演しているそうだ。
 作品はヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を獲得したほか、アカデミー賞の作品賞、監督賞、主演女優賞を得るなど、世界の映画祭で非常な高評価をもって迎えられた。しかし中国では、過去にクロエ・ジャオ監督が中国政府を批判する発言をしていたためなのか、この映画が上映されることはなかったという。

 この本をAmazonで検索すると、同じページに「ノマドワーカー 自由な生き方と働き方 人生を旅する準備は出来てるかい?好きな時に好きな場所で仕事をしよう」という本とか「好きな国で働いて生きていく!海外ノマドワーカーになるための攻略本」などというお喜楽極楽な本がいっしょに表示されてくるけれども、映画はそういう「自由を謳歌しようとする人たち」を描いたものではない。

 リーマン・ショック以後、アメリカでも年配の人たちに働き口を失う人が増加し、そういう人たちはキャンピング・カーなどで短期の仕事を求めて、アメリカ中を車上生活をしながら旅してまわるようになるのだ。
 主人公のファーン(フランシス・マクドーマンド)も、夫の働いていた町でずっと暮らし、その夫の死後も町に留まって代用教員などをやって来たらしいのだが、不況で町を支えていた企業が倒産、すべての住民は町を出て行くという事態になったらしい。その町の郵便番号も消えてしまったというから、「完全消滅」だ。
 それでファーンはヴァン(キャンピングカーではない)に乗って、アメリカ中を季節ごとの仕事を求めて移動して行くのだ。さいしょはAmazonの物量倉庫での発送作業に従事し、その仕事も年間のある時期しかないらしく、別の仕事を求めて移動して行く。移動先では同じような年配の労働者と知り合い、「次の仕事」などの情報を得たりするし、そんなヴァン生活者のコミュニティの集会に参加したりもする。ファーンは自分のことを「ホームレス」ではなく「ハウスレス」よ、とは語っている。

 自分が思うがままに車を走らせ、渓谷で裸で泳いだりするファーンの姿からは、「何にも規制されず解放されて幸福そうだ」と思うかもしれないが、駐車場でヴァンの中で夜明かしすると「車中泊は禁止だ」と注意されるし、「自分の家」でもあるヴァンがひとたび故障でもしようものなら、一苦労しなければならない。貯金もないらしいファーンはバスで妹の家を訪ね、金を借りることになる(金があればヴァンやキャンピング・カーの上にソーラーパネルを設置して、ガソリン代を浮かせることも出来るのだが)。
 ファーンが出会う高齢者たちも皆、「年金では生活できないから、こうやって死ぬまで仕事をしなければならない」と語り、それは日本の高齢者の労働事情と同じではないかとも思う。「ノマドワーカー」などといっても、ちっとも「自由で気まま」な存在などではない。気難しいところもあるファーンは、他人との深いかかわりを求めているわけでもないようなので、今の生き方が合っているようではあるけれどっも。

 ノマドたちの集会で皆の支えになるボブという男性は、実はしばらく前に息子が自殺していて、「自分も死のう」と思ったが、「皆の支えになることが自分の存在理由だ」と思い直したという。
 また、「もう余命が数ヶ月しかない」とわかっているスワンキーという女性はファーンに、かつて自分が体験したもっとも素晴らしい体験、海岸の断崖の空一面に無数のツバメが飛び、その断崖にはツバメの巣がぎっしり並んでいて、自分はそこでカヤックに乗る。自分は「もういう死んでもいい」と思ったという話をする。
 時が過ぎて、ファーンは、無数のツバメとツバメの巣にあふれ、海にカヤックが浮かぶ映像を受け取るのだった。

 もうひとり、デイヴという男(デヴィッド・ストラザーン)。彼は荒れ地でテーブルに石を並べて売っているという、つげ義春のマンガの登場人物のような男だが、ファーンとは仲が良くなる。そんなデイヴを訪ねて彼の息子がやって来る。息子はデイヴに「ウチに来ていっしょに暮らそう」と言う。デイヴはファーンに、自分は息子が小さい頃家に寄り付かなくなっていて、「どうやって息子に接したらいいかわからなくなってしまっていた」と話す。デイヴは息子の家に行くことにして、ファーンに「いつでも訪ねて来てくれ」と言う。
 ファーンも孤独が身に沁みたのか、あるときデイヴを訪ねて行く。息子夫婦と共に幸せな家族を築いているようだったが、デイヴはファーンに「ここでいっしょに住まないか?」と持ちかける。それはまるで結婚の申し込みのようだった。
 それはファーンの選ぶ生き方ではないので、デイヴと別れてまた「路上の人」となるのだった。季節はまた一巡して、Amazonでの仕事の季節になっていたのだった。

 映画はまさにドキュメンタリー・タッチで撮られていて、説明的な演出もなされない。ただ土地から土地へと移動して行くさまは、「アメリカ」という広大な国を舞台にしたロード・ムーヴィーのようではある。その「ノマドランド」では、いろいろな人々の人生も交差する。
 その移動する土地それぞれで何度も映し出される「夕焼け」の景色と、その手前を歩くフランシス・マクドーマンドのシルエット、そして静かな音楽とが記憶に残る映画だった。