ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『裸の拍車』(1953) アンソニー・マン:監督

 撮影スピードの迅速なアンソニー・マンのこと、この1953年にはいずれもジェームズ・スチュアート主演で3本の作品を撮っている。あと2本は『雷鳴の湾』と『グレン・ミラー物語』で、西部劇ではない。
 アンソニー・マンジェームズ・スチュアートが組んでつくった西部劇はこれで3本目。あと2本あるのだが、どちらも「Amazon Prime Video」で観ることはできないので、2人の西部劇として観ることができるのは、わたしにはこれでおしまい。

 さて、今回のジェームズ・スチュアートは、つまりは「賞金稼ぎ」の男を演じ、映画の中で彼の倫理観が揺らぐということで、やはり「単なる善玉」ではない男を描いた作品になっている。そして彼と行動を共にする5人(4人の男と1人の女)との、いわば「運命共同体」という「道行き」のドラマでもある。
 脚本はサム・ロルフとハロルド・ジャック・ブルームという若い2人の共作だったが、「西部劇」としては初めて「アカデミー脚本賞」の候補となった。

 物語はコロラド州の山岳地帯で始まる。ハワード・ケンプ(ジェームズ・スチュアート)は、5000ドルの賞金を目当てに「お尋ね者」のベン・ヴァンダーグロート(ロバート・ライアン)を一人で追っている。途中でハワードは年配の金鉱探しの男ジェシー・テイト(ミラード・ミッチェル)と出会い、20ドルでベンを捕らえる手助けを依頼する。
 2人は断崖の上に潜むベンを発見するが、上からのベンの攻撃と断崖登攀に手を焼く。そこに騎兵隊を除隊されたロイ・アンダーソン(ラルフ・ミーカー)という男があらわれ、2人を手伝うことになる。
 3人は断崖の上のベンを捕らえるが、ベンにはリナ・パッチ(ジャネット・リー)という女性がいっしょにいた。リナの父親は死んだ銀行強盗で、ベンは父親の友人であり、リナはベンを頼らざるを得ず、いっしょにカリフォルニアへ行くつもりであった。
 ジェシーとロイはハワードが賞金5000ドルのことを隠していたと知り三等分しようと主張し、ハワードもやむなく承諾、それから5人での旅が始まるが、ベンは「いずれ仲間割れを起こして逃げるチャンスも来るだろう」と、ハワードに対して冷笑的であるし、ジェシーには「オレは金鉱のありかを知っている」と持ちかける。
 5人はネイティヴ・アメリカンの一団に遭遇するが、友好的に見えた彼らに、彼らとの因縁があったロイが発砲し、激闘となる。なんとか危機を脱した5人だが、ハワードは足を撃たれる大ケガを負う。
 雨も降り出して大きな洞窟に避難した5人だが、ここでベンは逃げ出すチャンスと判断、リナを使って逃げようとするが、ぎりぎりハワードに捕まってしまう。
 しかしベンは次にジェシーに「金鉱へ案内する」と持ちかけ、うまくリナと3人で逃げ出してしまうのだった。もちろん、映画はまだまだつづくが。

 ジョン・フォードの西部劇などと違って、舞台はいつも山岳地帯であり渓流沿いの道であり、常に高低差のあるロケーション。冒頭のシーンも断崖の上と下との争いだったが、ラストもまた同じような争いの繰り返しになる。アンソニー・マンは「砂漠はアメリカ西部の一部にすぎず、わたしは山や滝、森林地帯に雪の山を見せたかった。つまり、ダニエル・ブーンの世界の再現を目指したのだ」と語っていたという。
 そんな地形、景観を活かした演出もまた、ほかの西部劇にないおもむきを感じさせられて興味深いし、やはりこの作品でもジェームズ・スチュアートの役どころの屈折が面白い。ドラマのさいしょの方で、実は彼は牧場主だったのだが、牧場を妻に任せて牧場を空けたあいだに、妻はほかの男とつるんで牧場を自分たちのものにしてしまったのだという。それでこのドラマでの5000ドルの賞金でまた牧場を買いたいと思っているのだ。本来「賞金稼ぎ」という人種ではないが、「金のために生きなくてはならない」という生き方を選んでいる。

 それでこのドラマにはジャネット・リーという存在がいて、彼女は頼りにしていたベンという男が「カリフォルニアで牧場をやる」というのを信じて、ベンに従っていたわけだ。
 彼女も途中でベンという男を信じなくなっているが、ラストに彼が死んだあと、「牧場をまたやりたい」というジェームズ・スチュアートと、目指す道は同じになる。
 ジェームズ・スチュアートは、ベンの死体を馬に積んで運び、「賞金」を手に入れようと考えるし、ジャネット・リーも、「いいわ、わたしはあなたについて行くわ」とはいう。しかし、そんな「賞金稼ぎ」的な生き方はどうなのか。「あなたについて行く」という彼女の、ほんとうの考えはどうなのか。彼は考え直すのだ。
 多くの死者を出した旅程だったが、ここで賞金を得ようとするようでは、そんな生き方を肯定することになる。それは「牧場」をやっていた自分とは違うのではないか。
 そう彼が考えたのかどうかはわからないけれども、わたしはそう解釈した。それはやはり、「ヒューマニズムとは何か」という問いかけではないだろうか。

 雨に降りこめられた洞窟の中で、置かれたアルミ食器に落ちる雨だれの音が音楽に聴こえるみたいだと、ジェームズ・スチュアートジャネット・リーが心を通わせるシーンだとか、フォスターの「夢見る人(Beautiful Dreamer)」が随所に使われたりと、抒情的な演出も忘れることはできない。