ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『第9地区』(2009) ニール・ブロムカンプ:監督

 わたしが初めて観るタイプのSF映画で、これは明らかに世界の難民問題のアナロジーだろうし、そもそも舞台が南アフリカヨハネスブルグということでタイトルも「第9地域」で、ダイレクトに南アフリカの「アパルトヘイト」問題を語っている。まあそのことで政治的に主張のある作品ではないのだけれども、いろいろと現実世界とのリンクを考えさせられる作品ではあった。
 監督は南アフリカ出身のニール・ブロムカンプという人で、この作品が長編第一作。本来はヴィデオゲーム「Halo」の映画化のため、プロデューサーのピーター・ジャクソンがニール・ブロムカンプを起用したのだけれどもその映画は中断。それで残された小道具などのアイテムを活かし、ニール・ブロムカンプが過去に撮った短編をもとにして、『第9地区』が製作されることになった。脚本はニール・ブロムカンプとその夫人のテリー・タッチェルとが共同執筆した。

 舞台は1982年の南アフリカヨハネスブルグ。都市の上空に突如巨大なUFОが飛来し、そのまま空中で動かなくなった。政府が軍隊を送り込み、UFОをこじ開けて中に入ると、そこには栄養失調で死にそうなエイリアンが何万と折り重なっていた。南アフリカ政府は地上に「第9地区」というキャンプ地を設定し、エイリアンらをそこに移送した。
 20年の時を経てエイリアンらの数は何十万と増加し、キャンプはスラム街と化した。エイリアンらは彼らの武器を所有してはいたが、彼らはその武器を操れず、それを人間が使おうとしても「生体認証」ではじかれて使えないのだった。どうもエイリアンらのうち、UFОを操縦できた知能の高い階級は地球に来たときに死んでしまったように思え、残っているのは難民と化した「奴隷」的なエイリアンだろうと思われた。人々はそんなエイリアンのことを「エビ(Prawns)」と軽蔑して呼ぶ。
 一方、ナイジェリアからのギャング団がキャンプ内に住み着いてエイリアンの武器を集め、「エイリアンらの肉を食べればエイリアンの武器を使える能力が得られるのではないか」と考えている。

 あまりにエイリアンらが増加しすぎたため、新たに「第10地区」をつくり、エイリアンをそちらに移動させようと計画され、その移動計画の指揮者に巨大兵器製造会社多国籍ユナイテッド(МNU)の職員のヴィカスを任命した。
 計画遂行中、ヴィカスはエイリアンでも高い知能を持っているらしいクリストファー・ジョンソンとその息子に出会う。そこで誤って容器に入った黒い液体をかぶってしまうのだが、そのあと、ヴィカスの腕はエイリアンの腕へと変容を始めてしまう。それを知ったМNUはヴィカスで生体実験をしようとするが、かろうじて逃げたヴィカスは第9地区へ戻り、クリストファー・ジョンソンと再会する。
 クリストファーの話ではヴィカスが汚染してしまったのは「宇宙船」の燃料で、宇宙船の司令船がじきに修理が終わること、燃料が必要なこと、ヴィカスがエイリアンに変身することは避けられないが、自分たちの星に帰ればヴィカスを人間に戻すことが出来るということだった。
 まずはヴィカスとクリストファーとでМNUの基地に侵入し、燃料を取り戻さなければならないが、変身の始まっていたヴィカスはエイリアンらの武器を操れるようになっていたのだ!
 なんとか燃料を奪還し、ヴィカスの援護でクリストファーと息子とは「司令船」を起動させ母船に戻り、「3年で戻ってきて、ヴィカスを人間にする」と約束して、母船と共に宇宙の彼方へと飛んで行くのだった‥‥。

 観る前に、この作品が作品賞をはじめ、いくつかの分野でアカデミー賞の候補になったと読んでいたのだけれども、映画冒頭からの、複数のカメラによるドキュメンタリー的な映像の組み合わせがとっても見事だと思え、「これは編集賞の候補になっていたにちがいない」とは思うのだった(じっさい、その通りだったが)。
 終盤は、ヴィカスを追うМNUのリーダーがステレオタイプなマッチョな軍人だったり、よくあるVFXでの銃撃戦になってしまって、わたしの興味からは外れてしまったが、映画としては大変満足できた、面白い作品だった。

 この隔離されたキャンプはかつてのアパルトヘイト時代の南アフリカに実際にあったものだし、南アフリカという国でのアフリカ人排斥、差別というものがそのままに「エイリアン」に置き換えられている(日本の空港の受付で、「外国人」が「エイリアン」と表記されていたことを思い出してしまうし、今ならば「川口」という地域でのクルド人のことを思い浮かべると、よりリアルになるというものだ!)。
 映画に登場する「多国籍兵器製造会社」にもじっさいのモデルがあるというし、ナイジェリアの武器商人がアパルトヘイト地域で活動していたのも事実という(おかげでか、この作品はナイジェリアでは上映禁止になった)。

 普通にたいていの人間と同じく「差別主義者」だったヴィカスが、「エイリアン」へと変身して行くにつれて差別心を捨てて一般の人間と敵対するようになり、クリストファーと心を通わせて行くようになるのも「いい展開」だし、ラストのショットにはちょっとほっこりするのだった。

 この作品、長いこと続編が期待されていて、監督もその意欲はあるようだったらしいが、さっき読んだ記事では、もう続編の可能性は消えたらしいということだ。ちょっと残念か。