ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ナイトメア・アリー』(2021) ギレルモ・デル・トロ:監督

 この作品の世界観、特にその美術の面からも、この作品には先日観た『切り裂き魔ゴーレム』の世界との親近性が感じられる。まあ要するに「ゴシック・ホラー」という世界なのだろうけれども、この『ナイトメア・アリー』のカーニヴァルの世界は、『切り裂き魔ゴーレム』での劇場世界、その楽屋と共通するものがあり、それがどちらもわたしを魅了する。
 ただ、『切り裂き魔ゴーレム』は1880年のロンドンを舞台とした禍々しい猟奇犯罪を中心にしたストーリーだったが(映画の中でその「猟奇犯罪」が、芝居として上演されている)、この『ナイトメア・アリー』は1939年のアメリカの地方を巡回する「移動カーニヴァル」から始まる、「見世物」としてのインチキ読心術、インチキ降霊術の世界に足を踏み入れた男の、隆盛と没落のストーリーだった。
 まあ「見世物」の世界にはそれこそ「猟奇的」な出しものもあり、この映画の影の「伏線」にもなっている「獣人」の存在であるとか、「ホルマリン漬けの標本」などの禍々しい世界が拡がっているわけだ。ある意味で、この映画の主人公のスタン・カーライル(ブラッドリー・クーパー)は、そんな「禍々しい世界」の上を綱渡り的に生き抜こうとしたのだろう(だから、そこから落下すれば「獣人」となる、というのは、彼がさいごに語るように、彼の「宿命」でもあるのだ)。

 『ナイトメア・アリー』のことを書こう。金もキャリアの持ち合わせもなく、まさにすべてを故郷の家と共に焼き捨てて出奔したスタンは、クレム(ウィレム・デフォー)の営む「移動カーニヴァル」へと流れ着き、読心術師のジーナ(トニ・コレット)とサポート役でアル中気味のピート(デヴィッド・ストラザーン)の手伝いをするようになる。スタンの与えた酒で死んだピートから「読心術の極意」の秘密ノートを得たスタンは、「感電ショー」で人気だったモリールーニー・マーラ)と共にカーニヴァルを抜け出し、ホテルのフロアなどで2人で「読心術ショー」を行い売れるようになる。そこにスタンの前にリリスケイト・ブランシェット)という、心理学博士を名乗る女性があらわれ、キンブル判事(リチャード・ジェンキンス)という人物の件で仕事をやらないかと誘う。リリスに惹かれたスタンはその仕事を引き受け、ついにバレる危険の伴う「降霊術」からじっさいに死者を呼び出すというイカサマに、モリーを無理矢理に引き入れて足を踏み入れようとするのであった。

 この映画のポスターやDVDジャケットには、スタンを中心にして、ジーナとモリーリリスの3人の女性が並んでいる。じっさい、スタンの運命はこの3人の女性によって大きく動いて行くわけだ。
 ジーナはまさに読心術の手ほどきをスタンに伝え、この禍々しい世界への入り口の門を開く存在ではあるけれども、同時に彼女は「タロット占い師」でもあり、スタンの運命を読み忠告もする存在ではあった(「降霊術」はやっちゃいけないという)。
 モリーはこの映画の登場人物唯一の「良心」、純な心の持ち主であり、彼女の演じる「感電ショー」も「トリック」ではなく、ただただ「耐えている」のだという。スタンの「没落」は、モリーに「耐えられない」ことを要求したことから始まる。
 リリスは「運命の女」であろう。一線を越えた世界にスタンを誘惑するが、その本心はスタンを利用しようとするだけのようだ。

 映画のラストは、映画の時制がさいしょに戻って、何もかも故郷に捨てて来たスタンがさいしょにカーニヴァルにたどり着いたときのようにも見えるのだが、実は「降霊術」の失敗から何もかも捨てて逃亡して来たスタンが、ついに再び、経営者も変わって知る人も残っていないカーニヴァルにたどり着くシーンなのだ。
 考えれば、わずかな期間栄華を極めたスタンだが、そんな栄華はまさに「夢・幻」で、いちばんさいしょにカーニヴァルにたどり着いたとき、彼の「宿命」は成就されていたともいえるだろう。
 人の「栄華」など、誰であろうともそれこそ「夢まぼろし」で、人というものは「宿命的」に「獣人」に堕ちるのだという、こわ~いメッセージをこの映画から読み取ってしまったのは、わたしだけなのだろうか? 厭だねえ、やりきれないね。