ケイト・ブランシェットの主演、出ずっぱりで、女性初のベルリン・フィルの主席指揮者にまで昇りつめた主人公が、パワハラ、セクハラのスキャンダルによって没落して行く姿を描いたもの。
ケイト・ブランシェットは実際にベルリン・フィルの前で指揮を取り、それはこの映画の中で聞かれる通りだし、彼女の指揮のクレジットのあるサウンドトラック盤もリリースされたという。映画を観ても彼女の指揮ぶりもひとつの見どころで、わたしなどは指揮者の「動き(ムーヴメント)」とオケの音との関係など解っていないとはいえ、インパクトのある演技だった。
「自分の音楽解釈」を楽団員に浸透させる必要があることなどから、パワーハラスメントの忍び込む余地も大きいわけだろうし、その上にこの作品では主人公はレズビアンであって(そのことを隠してはいない)、女性楽団員に関係を強要していたらしい。
この作品で描かれるいちばんのスキャンダルは、そのように主人公との関係を拒んだ女性に対して、その後主人公が彼女の活動を阻害するような動きを見せ、彼女が自殺してしまうという事件があり、世間に彼女を批判する動きが出るというもの。
そうでなくっても主人公は副指揮者の解任の仕方も問題視され、その後任に当然選ばれるだろうと思われていた、主人公の(元)愛人女性を選ばなかったりもする。そして次の演奏会でのソロ・チェリストに自分好みの女性を選ぼうともするわけだ。
ついには主人公のパートナー女性も彼女のもとを去ってしまうし、演奏会の指揮者からも外されてしまうのだ。住んでいた住まいも「立ち退き」しなくてはならなくなり、八方ふさがりになった主人公は演奏会当日に舞台に乱入し、指揮台に立とうとして引きずり降ろされてしまう。
もう今までの音楽業界では活動できなくなった主人公は、フィリピンへと向かうのだった。
‥‥はっきり言って、わたしには主人公のネガティヴな部分が執拗にクロースアップされているようであまり愉快ではなかったし、中盤からのミステリーっぽい展開も中途半端で、疑問が残った。それから前半で主人公が学生たちに講義をする場面で、極端な意見を持ち出した学生と主人公が議論する場面、その学生がずっと「貧乏ゆすり」のように片ひざを動かし続けているというのが見ていて納得いかなかったし、観終わった今となっては、疑問符がいっぱい浮かぶ作品だった。
思ったのだが、この主人公が男性であったとしたならばどうだっただろうか。わたしはその設定の方がよかった気もするのだが、それでは今の時代あまりにありふれているし、過去の有名指揮者を連想させてしまうので「アウト」なのだろうか。また、そう思うのは、わたしが「男」だからなのかもしれない。ただわたしには、「名優の名演技」ありきの映画と思え、気に入った映画ではない。