ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2023-10-26(Thu)

 昨日このあたりでかみなりが鳴っていたころ、都心の方では激しい雨になり、雹(ひょう)も降ったのだという。今年は何かと極端な天候になるのだなあ。
 この日、午前中にわたしは東のスーパーへ買い物に行ったのだけれども、ウチの外に出ても道路には雨が降ったという形跡もなく、空は快晴。ちょっと気温も高い気がした。

 今日東のスーパーへ行ったのは、他の店よりもちょっと割高なそのスーパーで何か買い物しようとしたのではなく、すのスーパーの上にある100円ショップで買いたいものがあったから。買いたいもののひとつは、ちょっとキッチン周りの改修をやろうと思い、そのための棚に使う板。ただまっ平らな板でいい。
 もうひとつは「ペッパー・ミル」。以前からボロボロになっていたミルを使っていたのだけれども、先週市役所へ行ったときに帰りに道沿いの100円ショップに寄り、新しいペッパー・ミルを買ったのだった。
 それで使い始めたのだけれども、それがどうも使い勝手が悪かった。胡椒粒を挽くにはそれなりに力を入れてミルを回さなければならないのだけれども、そのペッパー・ミルは表面がツルッツルで、手がすべってしまってうまく回せないのだった。
 これは設計ミスというか、回すときに手が引っかかるように、ある程度表面がでこぼこになっていた方がいいのだ。今日の100円ショップは先週行ったショップとは別系統だから、きっと「ちゃんと使える」ペッパー・ミルが売られているにちがいないと思ったわけだった。
 すぐに目当てのペッパー・ミルは見つかったが、期待した通りにこちらの店のペッパー・ミルは、上部の回転させる部分がでこぼこしていて、回しやすく設計されていた。これなら問題ないだろう。

 帰り道、先日見た小さなアサガオの花をまた見たら、新しい花が咲いていた。支柱もないのにけっこうツルが上の方に伸びていて、つぼみもついているようだ。このままもっと育ってくれればいいが。

       

 このところ各地でクマの出現が相次いでいて、東京の町田でも目撃情報があったという。今は人の居住圏内にあらわれるクマのことを「アーバンベア」などと呼び始めた。テレビの報道では「もしもクマと出会ってしまったら」という対処法を伝えている。
 今まではクマの方も人間に出会うことを恐れていたのだが、最近は人間を恐れなくなり、平気で市街地を闊歩したりしているのではないかとも言う。ニュースでは「突然背後からクマに襲われた」という被害者の証言もあり、確かにわたしなどが今まで知っていたクマの行動とは違ってきてるようにも思える。

 わたしが危惧するのは「そういう人の居住圏にきたクマはすべて駆除すべき」という声が大きくなってしまうことで、そういうことは今のクマの行動様式を知り、「なぜこのところ変化してきたのか」を突きとめることが先ではないかと思う。
 つまり、ひょっとしたらクマの行動様式が変化し、人の居住圏に闖入することをいとわなくなっているのかもしれない。ひとつには人間の開発によってクマの棲み処である「森」というものがクマの棲めるような「森」ではなくなってきている可能性がある。それは森の豊かさが失われたということでもあるだろう。
 そして、狩猟者が減少してしまっていることも、クマが人間を恐れなくなった原因にあげられるだろうか(わたしは、クマを狩猟する人たちの存在を決して否定することはない)。
 で、いろんな意味でこれまでの人間とクマとの共存のバランスが崩れているようだからといって、そのバランスからはみ出したクマを駆除すればそれでいい、というのは違うと思う。それはひょっとしたら「日本からクマは絶滅させればいい」という声につながってしまいそうだ。

 報道で、環境保護団体「日本熊森協会」の会長への取材記事があり、そこで会長が「クマこそ被害者」と語ったことが大きなバッシングを受けているようだ。
 その会長は、クマの被害の出る地域での対応の仕方は「遅れている」と語っているが、わたしがその取材記事を読んだ限りでは、その「日本熊森協会」の考えるクマとの共存法もまた、今のクマの行動の変化に対応しておらず、「遅れている」といえると思う。
 問題は行政的なことでもあると思える今、動物学者ら自然学の声を聞きながら、単に「人とクマとの共存」を超えた「自然問題」という視野から状況を見据え、対策を考えるべきだろうとは思う。