ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2023-08-12(Sat)

 この頃また、夢をよくみているみたいだ。朝目覚めたときに「夢をみていたな」と思いあたり、その内容を反芻すると記憶していることもあるけれども、朝には憶えていた夢も、もう昼になって思い出そうとするとすっかり消えてしまっていることがほとんどだ。あとは目覚めたときには夢の記憶は残っていなくても、そのあとフッとした瞬間に、頭の中を記憶にないイメージがそれこそフラッシュバックとしてよみがえり、「ああ、これはみていた夢の断片なのだろうな」とは思うのだが、それで「夢の全体」が思い出せるわけでもない。
 先日みた夢は珍しくいくらか内容を記憶していて、その夢の中でわたしは古いレコードを聴いているのだった。わたしは「世の中でいちばんカッコいい音楽はこれだろう」と思いながらレコードをかけるのだが、それはマイルス・ディヴィスの『ジャック・ジョンソン』のA面(今なら「1曲目」という)なのだが、夢の中でたしかにそのレコードの音も聴こえていたようなのだが、それはじっさいの『ジャック・ジョンソン』に似てはいたけれども、ちがう音楽だった。
 夢の中で音楽を聴くということ自体珍しいことなのだけれども、さらにその音楽が「現実の音楽」とはちがう、別の音楽だというのはどういうことだろう。その音楽はもちろんもう思い出せないが、その音楽はいったいどこから来たのだろうか。また聴いてみたいものだ。

 音楽といえば今日は土曜日で、朝はピーター・バラカン氏の『ウィークエンド サンシャイン』。この日も先週につづいて「1973年」の特集で、この特集はまだあと2回つづくらしい。今週は「ロック/ポップス」で来週は「ソウル/ファンク」、さ来週は「ジャズ/フージョン」をやるらしい。
 今日の放送を聴いていたら、「チーフタンズ」につづいてわたしの大好きなアイルランドのフォーク・バンド「プランクシティ(Planxty)」の曲がかけられて喜んでしまった(「フォーク」も、「ロック/ポップス」に含まれるのだ)。ピーター・バラカン氏が「プランクシティ」をかけるなんて、意外も意外ではあったが(この日の放送で、「プランクシティ」に興味を持つ人が増える気がする)。

 さて、このあたりに来るかと思われていた台風7号はその後進路を西に変え、天気予報をみると紀伊半島あたりに上陸しそうな進路になっている。勢力も強い台風のようで、いくら進路から外れているといっても関東地方にも影響は避けられないようだ。予報では明日あたりからしばらく、このあたりでも傘マークが並んでいる。
 しかし、予報ではこの台風は「上陸するおそれがある」といいつづけているのだけれども、今はもう誰がみても「上陸するに決まっている」という進路予想で、これを「おそれがある」というのは「まだ上陸しない可能性もある」ということなのだろうか。「被害が出るおそれがある」ということならわかるのだけれども、こういう天気予報の「用語」というのには、どうもわからないところがある。

 夕方から近くのコンビニへ出かけ、そのまま駅を越えて駅前のスーパーまで買い物に歩いた。
 この駅の北側を歩くのも久しぶりのことだけれども、わたしが通勤で毎朝歩いていた頃には「駅前整備」で工事中だったのが、今はその工事もひとまずは終了していて、雑草が生い茂っていた。
 将来的にはこの場所にマンションと複合商業施設のビルが建ち、商業施設にはもちろん大型のスーパーが出店するという。あと、読んだ話では「私設の図書館」というものも開館する予定だという。「私設の図書館」というのはどういうものだろうか?(むかし多摩に住んでいたころ、戦後に農業運動に取り組まれていた方が自宅を改造した「私設図書館」があったけれども)

     

 今日はトリュフォーの『恋のエチュード』を観た。「Amazon Prime」でも「U-NEXT」でも、トリュフォーの作品というのはほとんどアップされていなくって、『大人は判ってくれない』『柔らかい肌』、それとこの『恋のエチュード』でおしまいである(あと有料のもので『華氏491』が観れるだけ)。
 まあサブスクのラインアップに文句をいってもしょうがないことだが、あまりに少なすぎないだろうか。前にずっと観つづけていたヒッチコックなんか、彼の50本を超える作品のうち40本は観ることができたというのに。

 夜は先日ナボコフの中篇『目』を読んだもので、その『目』の含まれる小笠原豊樹訳の『四重奏/目』の残りの短篇も読み進め、残りは『ヴェイン姉妹』と『博物館を訪れて』の2つになった。明日には読み終えるだろう。