ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『おとなのけんか』(2011) ヤスミナ・レザ:原作・脚本 ロマン・ポランスキー:脚本・監督

 元は舞台劇で、原題の「Carnage」には「大虐殺」という物騒な意味もあるけれども、「修羅場」ぐらいの意味の方が適切だろう。YouTubeで元の舞台「God of Carnage」の映像をちょっと見たけれども、クッションでぶちのめしたり、やはり映画版より演技はオーバーで、確かに「修羅場」という感じの舞台みたいだった。
 登場人物は基本4人だけ。場所もニューヨークのマンションの中だけでの展開(オープニングとエンディングはちがうけれども)。
 ケイト・ウィンスレットクリストフ・ヴァルツ夫婦(カウワン夫妻)の子どもザカリーが、ジョディ・フォスターとジョン・C・ライリー夫婦(ロングストリート夫妻)の子どもイーサンとけんかをして、イーサンは前歯を折るケガをしてしまう(ザカリーとイーサンは同級生で11歳)。それでロングストリート夫妻がカウワン夫妻を自宅に招き、友好的に子どものけんかを解決しようとするのだけれども、これが終いにはどなり合いの「修羅場」になってしまうという喜劇。はたしてどこでどう、当初のお互いの友好的な気もちがずれてしまったのか。
 原因はいろいろあるんだけれども、いつの間にか険悪な雰囲気になってしまうあたりの展開がすっごく面白い。険悪になったあとも、四人のそれぞれが攻撃の矢面に立たされることになったり、夫同士、妻同士が意気投合してしまったりもする。

 そもそもが最初っから、クリストフ・ヴァルツは「子供のことは妻のケイト・ウィンスレットに任せてある」という感じで、自分はしょっちゅうケータイで連絡を取りまくりでケイト・ウィンスレットすら反感を抱くことになる(ケイト・ウィンスレットの「もうウンザリだわ」という表情も最高!)。
 そんなクリストフ・ヴァルツも、会合の最初からマウントを取りたがるようなジョディ・フォスターの態度、彼女の「不適切」と思える言葉遣いには明らかに反感を抱いていて、前半のクリストフ・ヴァルツの目線の移動とか表情を見ていると、けっこう笑かしてもらえる。
 序盤には「じゃあこれでさようなら」という機会は何度もあるのだけれども、そのたびに何かあって、カウワン夫妻は帰るきっかけを失ってしまう。

 4人それぞれが「熱演」という感じなんだけれども、やはりわたしには切れまくって額に青筋を立てて怒鳴りまくるジョディ・フォスターと、斜めに構えてのんしゃらんとしたクリストフ・ヴァルツとの対比が面白かった。正義感の強い理想主義者のジョディ・フォスターと、あまりに現実的な考えを持つ弁護士のクリストフ・ヴァルツの2人の衝突、という場面もあり、ジョディ・フォスターの理想主義をクリストフ・ヴァルツがけちょんけちょんにけなし、ジョディ・フォスターが「理想主義のどこが悪いのよ!」てな感じで青筋立てて怒りまくるのなんか、とにかく笑ってしまう。(やっぱりこの「けんか」でいちばん深手を負うのはジョディ・フォスターだろうな)。

 ケイト・ウィンスレットもまた、それこそ場をとっちらかしてしまうし、常識人っぽくふるまおうとするジョン・C・ライリーもどこか脱線している。「場を和ませよう」とジョン・C・ライリーが持ち出した「特上のスコッチ」もヤバくって、み~んなスコッチ飲みまくり。特にケイト・ウィンスレットは明らかに酔っぱらって行くし。

 しかし、観ていても、ロングストリート夫妻の居間のテーブルにフランシス・ベーコンやココシュカの画集(おお、ゲロをひっかぶってしまった哀れなココシュカよ!)が置いてあるのなんか、「ああ、見せびらかしてるな」と、そのスノッブぶりは冷笑してやりたい気分ではあったけど。

 みじかいオープニングとエンディング以外はすべてロングストリート家の室内だけの進行で(ちょびっとエレヴェーターへ向かう廊下には出るけれども)、ちょびっとヒッチコックの『ロープ』を思い出したりもしたけれども、こちらは部屋のあちこちから画面を切り取る演出で、部屋全体を組み上げた美術など、やはり映画としてすばらしいものでもあった(皆が廊下に出て怒鳴り合いになったシーンで、隣家のドアから覗き見していた隣人は、ヒッチコックみたいなカメオ出演ポランスキー監督だったらしい)。