ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『カリスマ』(1999) 黒沢清:脚本・監督

 『CURE』(1997)、『ニンゲン合格』(1999)に続いて、役所広司の主演で撮られた作品。何というか非常に捉えどころのない作品ではあるけれども、黒沢清監督の作品のスタイルとしても、いわゆる「ホラー」と分類することもむずかしい思いがする。主人公が刑事ということで『CURE』を引き継いでいるようでもあるし、ラストシーンからも、このストーリーは『回路』につながるのではないかとも思ってしまう。そして荒れ地に一本だけ突っ立つ木が「世界のかなめ」と解されるようなストーリーからは、どこかタルコフスキーの『サクリファイス』を思い浮かべてしまう。実際にこの木も燃えてしまうわけだし。

 主人公の藪池(役所広司)は、代議士を人質に立てこもった男を逮捕しようとして失敗し、犯人も代議士も警官隊に射殺されてしまう。このとき藪池は犯人から「世界の法則を回復せよ」と書かれた紙を受け取っていた。藪池はいちどは犯人に銃を向けたのだが、「ここで二人とも救う方法はないのか?」と考えて発砲をためらってしまったのだった。

 精神の均衡を失ったかにみえる藪池は上司に「しばらく休め」と言われ、同僚の車でどこかの山奥まで行って降ろしてもらう。ここで彼はバスに乗るつもりだったようだが、バスは廃線になっていたようだった。森をさまよった藪池は放置された廃車を見つけて中で寝るが、夜中に何者かが車に火を放つ。助かった藪池がさらに森をさまようと、広い空き地の真ん中にイントレで補強された一本の木を見つける。そのイントレによじ登ろうとしたときにまた何者かに引きずり降ろされ、拳銃など身ぐるみをはがれてしまう。

 そんな藪池を助けたのは、その森で植林作業を行っているグループのリーダーの中曽根(大杉漣)。この森では木がどんどんと枯れていて、新しい植林も育たずにすぐに枯れてしまうという。中曽根らは先に藪池が見つけたイントレの木を敵視して抜き去ろうとしているらしいのだが、そこにその木を守る凶暴な男がいてイントレの木に近づけない。
 勝手に動き回る藪池は、森の中の廃墟に住んでいる男と出会う。男は桐山(池内博之)といい、「カリスマ」と名付けたイントレの木を守っているのが彼だった。

 さらに、藪池は神保(風吹ジュン)という大学教授という女性と出会うのだが、彼女はその「カリスマ」の木は根から強烈な毒をばらまいていて、そのせいで森の木は死に絶えようとしているという。彼女は森の中の立派な家に、ちょっとわけのわからない妹(洞口依子)と住んでいる。彼女は「外の世界」に出たいらしいが、どうも藪池が寝ていた廃車に火を放ったのは彼女らしい。

 このように、「カリスマ」をめぐって中曽根のグループ、桐山、そして神保とが対立しているようだ。藪池はそんな中でそれぞれに加勢しながらも誰ともいっしょになろうとはしない。
 そのうちにわかったのは、桐山のいるのは昔はメンタルヘルスの病院だった建物で、桐山はそこの患者で、彼は亡くなった病院長を信奉しているようなのだ。桐山は例え森全体が枯れてしまっても「カリスマ」を守りたいと考えている。「健全な人間は誰かに従うのが当然で、世界は弱肉強食」と言い、そこに「森の法則」があると言う。
 また、神保は「森全体の生態系を守らなければ」ということから「カリスマ」を排除しようとしているが、妹が言うのは池に毒をまき、森全体を一度枯らせてしまおうと考えているらしい。彼女は「生きようとする力は、殺そうとする力と同じもの」だと藪池に語る。

 そのうちに「カリスマ」に価値を見出した猫島(松重豊)という男がライフル銃を持った仲間と中曽根のグループに加わり、ついに「カリスマ」を引っこ抜いて車で運び出そうとする。
 このとき藪池は桐山の味方をし、拳銃で猫島や中曽根らを排撃する。いちどは桐山は車ごと「カリスマ」を奪還するが、今度は神保姉妹に「カリスマ」を奪われて火を付けられてしまうのだ。

 ここで「急展開」というか、藪池は森の奥で巨大な枯れ木を発見し、「これがカリスマだ」と言う。藪池がカリスマを生き返らせようとするのを、桐山はその木は「カリスマではない」としながらも、藪池を手伝うようになる。一方神保姉はこの木も圧搾空気ボンベを爆発させて破壊しようとし、猫島はその新しい「カリスマ」も現金を用意して入手しようとする。
 「森全体と、このカリスマという木と、どちらかしか生き残れないとしたらどうする?」。藪池は自分の課題であった「どちらも生かすことは出来ないものか」ということをに答えを見つけるのだろうか。そしてそれは「世界の法則を回復する」ことだろうか。藪池は「法則とは軍隊のことだ」と言い、「自分は平凡な人間であればいい」と語るが。

 演出が黒沢清監督らしくも「陰鬱」な空気に包まれているようだが、あれこれと世界情勢の寓意が語られているようでもあり、滑稽なシーンも多い。特に中曽根の登場するシーンでは音楽もコミカルで、「どうなってるの?」とは思うのだが、映画はだんだんと、『回路』で描かれた世界へと近接して行くだろう。