ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ボクシング・ジム』(2010) フレデリック・ワイズマン:製作・音響・編集・監督

 一週間ぶりのワイズマン。この日は2010年の『ボクシング・ジム』を観たのだが、これまでのワイズマン作品とはいろいろと異なる特色も感じたし、とにかくはやはり惹かれるドキュメンタリーだった。
 最近になってこれまで観たワイズマン作品は、『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』『ナショナル・ギャラリー 英国の至宝』『コメディ・フランセーズ 演じられた愛』とかで、ワイズマン監督が撮る対象に対してさまざまな角度、視点からのアプローチとかで、その対象の全体像を浮かび上がらせるような作品だったと思う。
 しかしそれらの作品に比べると、この『ボクシング・ジム』という作品、そこまでに大きくはないというか、すぐにそのスペースの全体が見渡せてしまうようなボクシング・ジムが対象で、アプローチするといっても、だいたいがジムでトレーニングをする人たちと、ジムのトレーナーとだけで、この作品の最初のシーンは無人のジムの中や、ジムの壁に貼られたボクシングの試合のポスターなどが映される。ポスターにはマイク・タイソンの試合のものもあるし、映画『レイジング・ブル』のポスターもある。そして人々のトレーニングが始まる。このジムに通ってくる人はそれぞれ老若男女さまざまで、まだ10歳にもならないような少女もトレーニングしていたりする。

 ここで単にボクシングのトレーニングといっても、縄跳びからミット打ち、シャドーボクシングからトレーナーと組んでの練習と多彩なものがあり、この同じジムの中で並行して各自が自由にそういうさまざまなトレーニングをやっている。それが今まで観てきたワイズマンの作品では考えられないぐらいに、細かいカットの積み重ねで描かれて行く。おそらくはカメラは2台持ち込んで撮影しているのだろうけれども、それがジム内の同じ音(規則正しいタイマーのカウントと3分ごとらしいアラームの音)をバックに継続して行く。
 それで観ていると、多くのカットでもって絵のつなぎは多いのだけれども、それでもサウンドはけっこう、そんな絵のつなぎをまたいで通底している。もちろんカットによってはつながっていないところもあるが、それでもこのトレーニングシーン、ひとつのリズムでつながっていて、それがある面で観続けさせられる「力」になっているかとも思う。
 もちろんこの「編集」作業は、いつものようにワイズマン監督自身によるものだけれども、わたしはちょっと、この編集作業の中にワイズマン監督の「大きさ」をみたように思ってしまった。

 そしてこの作品はもちろん、ボクシング・ジムでのトレーニングを描いた作品なのだけれども、わたしなどは、ボクシングのトレーニングというのはただ「強いパンチ」を繰り出すためのトレーニングが主なのかと思ってもいたのだが、そうではなく「フットワーク」であり、ワン、ツーで繰り出すジャブであり、「リズム」を学ぶ場なのだ。
 この作品自体が、先に書いたような「音」が継続してリズムをつくってもいるわけで、わたしも観ていて「ボクシングというのは<リズム>か」などとは思うのだった。

 そうやって映画は主に人々のさまざまなトレーニングを追って行き、ときどき新しくジムに来ようとする人とジムのオーナーとの対話などがはさまれる。終盤には皆が「大学での銃乱射事件」で21人が死んだという話をしているが、これは2007年のバージニア工科大学での乱射事件のことで、この映画の撮影時期がわかることにもなるし、「ボクシング」という一見暴力的なスポーツを描く中で、事実その対極にあるようなこの事件の話が出て来ることで、逆に「ボクシング」というスポーツの「平和性」も浮かび上がって来るだろうか。
 そして、映画ももう一時間ぐらい過ぎるというとき、急にカメラは外に飛び出し、外でランニングのトレーニングをするジム生の姿を追う。
 これが何というか「大きな解放感」というか、「ついにジムの外に出た」というところだし、このあたりのカメラの構図や動きなどがまたしびれるのだ。この作品のカメラは、いつものワイズマン作品で撮影を担当するジョン・デイヴィーという人だが、この作品はこのジョン・デイヴィーというカメラマンの良さをたっぷり味わえる作品でもある。

 このあとまたカメラはジムに戻って来るのだけれども、ここでジム中央のリングの上に2人のトレーニング生(1人は女性)が上がり、それぞれがシャドウボクシングをやるのだが、このシーンでのジョン・デイヴィーのカメラが、またまたいいのである。
 そしてラスト近くに、ようやっと(と言っていいのか)、そのリング上でのスパーリングの模様が撮影され、エキサイティングな気もちをかき立てられてこの作品は終わるのだったが、ラストにまた美しい夕陽の映像が待っていた。

 今まで何本かフレデリック・ワイズマン監督の作品を観て、ワイズマン監督の「ドキュメンタリー製作法」が少しわかったかな、などと思いそうになっていたのだが、この作品を観ると、さらにワイズマン監督の作品には別な魅力もあり、まだわかったつもりにはなれないと、痛感したのだった。