ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『フード・インク』(2008) ロバート・ケナー:製作・脚本・監督

 このところ、ワン・ビン監督のドキュメンタリー映画からワイズマン監督の作品を続けて観て、先日は『主戦場』というドキュメンタリーも観たのだが、それぞれの監督のドキュメンタリーをつくる立ち位置は異なっている。
 ワン・ビン監督もワイズマン監督も、その作品の中にナレーションなど挿入せずに、編集作業だけで作品を組み立てているのだが、ワイズマン監督はその中で、「撮った対象」への判断は観客にすっかり委ねている。ただ、「何を撮ったか」ということの中に、ワイズマン監督の視点が覗き見られただろうか。ワン・ビン監督は、いちおうニュートラルな立場に撮影カメラを置くのだけれども、その奥にはしっかりと、今の「中華人民共和国」が隠している「真実」が見えるようにしているだろうか。ワン・ビン監督の撮った映像が「真実」だと思えるのは、ワイズマン監督のように監督自身は何も主張しようとしていないからだろう。

 一方で先日観た『主戦場』のミキ・デザキ監督には、明らかに監督の主張があり、ナレーション、字幕、過去の映像などを挿入しながら、なかなか巧妙な編集で日本の過去の「従軍慰安婦問題」をごまかそうとしている人たちの「欺瞞」を暴き、さらに日本の保守層の目指すものをもあらわにしようとすることで、極めて「政治的」な作品だった、と言えるだろう。

 それでこの『フード・インク』というドキュメンタリーだけれども、明らかにこの作品の製作方法は『主戦場』に近似している。
 この作品でロバート・ケナー監督が問題にしているのは、アメリカの「食品産業」全体のことである。それは「食用肉」の問題、そして「農産物」の問題。これらの大量生産、低コスト流通の裏側にある、「食品生産関連会社(フード・インク)」による、人命にもかかわるヤバい問題を告発して行く。

 「食用肉」の畜産問題でいえば、畜産業者は業界で生き残るために「大量生産」を目指せば、本来牛や豚、鶏などの飼育にまったく適さない環境をつくらないとやっていけない。
 例えば牛の場合、牛に無理矢理本来食べない「トウモロコシ」を与えて飼育し、そのために「O-157」を体内にかかえたまま精肉されもする。そのせいで3歳でハンバーガーを食べ、「O-157」に感染して死んだ男の子のレポートは悲しい。
 また鶏は、鶏舎の中で通常の倍の速度で成長させられ、すでに出荷されるときに自分の身体を自分で支えきれない鶏の数があまりに多い。
 そして「畜産物」にはわたしらもその名を聞いたことがある「モンサント社」の「遺伝子組み換え種子」の大きな問題がある。わたしは「遺伝子組み換え大豆」とかというのは「人の健康に悪影響を及ぼす可能性がある」ということで、日本で売られるときには「遺伝子組み換え大豆は使用していません」などと書かれているのかと思っていたが、問題はそれだけではなかった。
 それは先日観た『ジュラシック・ワールド』の完結編の中で企業が巨大なイナゴを生み出し、そのイナゴの被害を受けないためには、その企業の提供する小麦の種を購入しなければならないというシステムに似ているというか、あの『ジュラシック・ワールド』で描いたことは「モンサント社問題」のアナロジーだったのだと、今ごろ気づいたのだった。
 最悪なのは(『主戦場』に似てくるが)、これらの食品会社の横暴を、国家が保護しているということ。

 日本ではここまでに市場を独占する企業もまだないが、スーパーなどを運営する巨大流通グループの動き、そんなスーパーで売られる肉や野菜の「生鮮品」には注意しないといけないだろう。特にアメリカの農産物を一元化してしまうような「トウモロコシ」の問題は、日本への輸入量も多いわけで、買い物のときとかに注視しなければならないだろう。

 最近は鶏卵の価格が高沸し、そのことから「鶏の飼育環境」にまで消費者の目が届くようになり、まだ日本には健全な視点が残っているだろうかとも思うし、野菜などはまだまた「有機栽培」にこだわる農家もがんばっているし、「和牛」の肉の味を世界に誇る日本の畜産業者にはまだまだ、業者のこだわりが生き残っているのではないかと思う(それには「高い肉」を買わないといけないが)。

 わたしがいつも野菜を買う駅前の小さなスーパーなどは、ずっと「農家直産・直送」の野菜だということが店頭を見ればわかるし、それでもなお「巨大流通グループ」で売られている野菜よりも安いのだから、わたし的には安心して買っている。今のところはこの日本はまだ、この『フード・インク』で描かれるような事態には至ってないようには思うが(そもそもわたしは「ファストフード」をまったく利用しないし)、この映画を観た感じでは、「これからは<トウモロコシ>に注意だな」などと思うのだ。
 あとは、「これが<ウィスキー>なのか?」という安い酒の問題があるが、それはまた別の問題だし、わたしの問題だ。