ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-03-26(Thu)

 今日も娘が見舞に来てくれた。もしもわたしに、この「娘」という存在がなかったら、どんなことになっていただろうと思う。つまりわたしには娘のほかに身寄りがいない。そもそもが部屋を借りるときに「保証人」が必要だろうから、何らかの福祉団体、NPOなどに保証人になってもらうことになるだろう。こういう入院の際にも、その保証人の世話になって当面は何とかなるかもしれないが、ニェネントの世話とかいうのは無理かもしれない。とにかくは大変な苦労が必要で、入院した疾病が他者とのコミュニケーションが取りにくいようなものだったとしたら、もうお手上げだろう。とにかく娘には感謝するしかない。
 この地へ転居してきたというのも、3年前に外的な事情で転居しなければならなくなったとき、娘が「独り暮し」のわたしを心配し、娘の住まいの近くへの転居を勧められてのことだったわけだけれども、けっきょく今回、その決定のおかげで助かったところが大きい。もしも仮りにわたしがずっと茨城に住んでいたならば、こんな事態になったときに娘が茨城まで何度も来てくれることはまったく期待出来はしない(まあ茨城にいたら交通事故に遭うこともなかっただろう、などということは想像してはいけない)。

 昨日手術口のホッチキス針を抜いてもらったこともあり、やっと今日からシャワーを使うことができることになった。入る前に看護士の方に使い方の説明を受け、湯につかることはできないけれども身体を洗い、頭髪も洗った。頭髪を洗っても痛みもないし、湯が手術口に沁みるようなこともなかった。
 シャワーを浴びてすっきりして、そのあとの昼食は「鶏肉のネギ塩焼き」という献立だった。けっこうおいしかった。

 昼過ぎに来てくれた娘と、まずは退院に向けての話し合いをした。そして自分でははっきりと見ることのできない手術あとの傷口を撮影してもらった。本当は昨日ホッチキスの針を抜く前の状態で撮影してもらっていればよかったが、仕方がない。今日は娘がわたしの付き添い人になってくれるわけで、いっしょに1階のコンビニへ行ってちょっと買い物をし、受付に行って「診断書」のお願いをした。損保会社への提出のためだと、その損保会社ごとの診断書の書式があるから、確かめてからの依頼の方がいいだろうと言われ、そのようにすることにした。
 退院のときにまた付き添いで来てくれるわけだけれども、退院まではこれでさいごの面会。医師から、退院は3月30日か31日でと言われていたのだけれども、娘の都合を聞いて、31日に退院ということにした。
 予定していた「一時帰宅」についても、付き添いなしで一人で行動してはいけないということで、中止になってしまった。まあ特にそれで困るというわけでもないので構わないが。
 
 娘が帰ったあとになって、この日記を書くための下書きをノートに書いておこうと思いつき(ケータイでダイレクトに入力も出来ないことはないが、長い文章をあのケータイのかったるい文字入力で入力していたら、ものすごい時間がかかってしまう)、看護士の方に付き添ってもらってもういちどコンビニへ行き、ノートとボールペンとを買った。病室に戻り、まだこの日記に書いてなかった入院前後のことを思い出しながら、ノートに書いていった。思い出せないことも数多くあるが、今思い出せることを書き留めておかなければ、そのうちにすべて忘れ去られてしまうように思える。