ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『アパッチ砦』(1948) ジョン・フォード:監督

アパッチ砦 Blu-ray

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  • 出版社/メーカー: IVC,Ltd.(VC)(D)
  • 発売日: 2019/11/29
  • メディア: Blu-ray

 ジョン・フォードには「騎兵隊三部作」と呼ばれる三本があるそうで、この作品はその第一作にあたるという。これは史実に残る第七騎兵隊の全滅をモデルとした作品で、ある意味「負け戦(いくさ」を描いた作品になる。

 先住民の居留地に近接した「アパッチ砦」に、サースデイ中佐(ヘンリー・フォンダ)が娘のフィラデルフィアシャーリー・テンプル)を伴って赴任してくる。実は彼は左遷されてこの地に来たようではある。砦には古参のヨーク大尉(ジョン・ウェイン)、コリングウッド大尉、オルーク軍曹、その息子のマイケル・オルーク(ジョン・エイガー)らがいる。フィラデルフィアとマイケルは、互いに初対面から惹かれ合うことになる。

 ここで出演者のことを書いておくと、まあジョン・ウェインはいつものジョン・ウェインなのだが、ヘンリー・フォンダはいつもの品行方正なジェントルマン的なたたずまいではなく、権威をかさに着て自分のミスを認めようとしない、「ダメ上司」の見本のような役をやっているが、「品行方正さ」イコール「権威の表出」みたいなところで通じるのか、適役ではある。
 シャーリー・テンプルは子役時代からすでにビッグスターで、のちには外交官として活躍、一見「順風満帆」な生涯をおくられた「幸福な女優さん」ではあった。この作品撮影時は19歳ぐらいだっただろうけれども、可愛らしくも美しい。わたしは彼女の出演した映画を観るのはこの作品が初めてだったけれども、ある意味「武骨な男たちの映画」という中で、まさに「一輪の美しい花」という印象。彼女の存在で映画の印象も柔らかくなる。
 そしてもう一人、この映画でシャーリー・テンプルと恋仲になるジョン・エイガーという俳優がいて、この人物はこの作品がデビュー作なのだが、実はこのときすでにシャーリー・テンプルの夫なのであった。まあグッドルッキング・ガイではあって、将来のスターへの道を想像してしまうのだが、どうもこの男、DVだったりアル中だったり浮気したりと大変なヤツだったらしく、シャーリーとは1950年に離婚している。ある意味シャーリー・テンプルの生涯唯一の汚点が、このジョン・エイガーという男なのかもしれない。そういうことで彼は俳優としても大成せず、以後は『半魚人の逆襲』だとか『モグラ人間の叛乱』とかいうタイトルの、おそらくは二流の作品にばかり出演することになってしまう。でもまあ、このデビュー作では気負いもあったのか、溌溂としていて好印象ではありますね。

 さて映画の話。この作品こそ、先に読んだ『文學界』12月号の蓮實重彦の「ジョン・フォード論(序章)」でかなり言及されていた作品で、まあ先にそっちを読んでしまっていたものでどうしてもそういう観方をしてしまったけれども、これは傑作だと思う。
 この作品はモノクロでスタンダードサイズなわけだけれども、仮にこれがカラー作品で、例えば70ミリ映画だったと想像してみると、あの『アラビアのロレンス』も吹っ飛んでしまうような強烈な映像ではないかと思った。
 ひとつには、そのクライマックスの先住民との闘争の激烈さがあるわけだけれども、例えばサースデイが指揮をとる騎兵隊の生き残りを、先住民の騎馬部隊がそれこそ「波」のように包んで乗り越えて行き、騎馬部隊が過ぎ去ったあとには誰も生き残ってはいないというシーンを、遥か上方から俯瞰シーン、ワンショットで撮り切ってしまう迫力。これはすごいシーンだった。
 そしてまさにこのストーリーの奥深さがあるわけだけれども、蓮實氏が書いていることではあるけれども、サースデイが戦闘中に落馬して自分のサーベル剣を紛失し、それをヨークが自分のサーベルをサースデイに与え、彼と決定的な決裂をして「もはやこれまで」とばかりにサースデイを激戦地に送り出し、自分はサースデイの命令で後陣に撤退するわけだけれども、これがラストのヨークの記者会見のとき、「サースデイの遺品」としてサースデイの肖像画の前にサーベルが置かれているわけで、まあサーベルに持ち主の名まえが彫り込んでいたりしたらアレだけれども、おそらくそのサーベルはヨークのサーベルではあるだろう(仮にそれがじっさいにサースデイのサーベルだったとしても、大事な戦場で自らのサーベルを紛失したサースデイの失態は残る)。そのことをすべて呑み込んで、「サースデイは偉大な軍人だったのです」と記者団に語るわけではある。
 これは「軍隊という存在の偉大さ」を語るものではなく、そのような軍隊の愚行があれども、サースデイという今は亡き人物への最大限の追悼の意、と読み取るべきかと思った。

 ジョン・フォード監督の作品、今まで観た中で、西部劇と言えども女性の存在が大きくクロースアップされているとは思って観てきたけれども、この作品でも、騎兵隊が出発するときにそのフィラデルフィアコリングウッド大尉夫人、オルーク軍曹夫人の三人が並んで騎兵隊を見送るシーンが印象的で、このときの三人のうち、コリングウッド大尉は戦闘で命を失うのだけれども、すべてが終わったラストのシーンで、マイケル・オルークと結婚したフィラデルフィアは愛児を抱き、オルーク夫人とともに、ヨーク隊長に率いられた騎兵隊軍勢を見守るのである。
 

2019-12-03(Tue)

 今日は晴れた。さすがに真っ暗な中、早朝に駅に向かう時とか、勤め先駅で勤め先まで歩くときはかなり寒いのだけれども、仕事を終えて外に出て歩くと、早朝の身支度では暑いぐらいに気温が上昇している。しかし雲ひとつない晴天は気分がいい。

 ずっと、こまめに金銭出納帳(家計簿)をつけているのだが、今日は11月分をまとめて計算してみた。
 「これは一番の問題だ」と思ったのは、缶コーヒーやペットボトルに6千円近く支出していたことだ。出勤前に仕事先まで歩くときにまず缶コーヒーを買い、それで仕事中に2缶飲む。自分では「まあ仕事の経費のうち」とか思っていたところもあるけれども、トータルで6千円とかになると、「ここはガマン出来るではないか」と思ってしまう。まずはコレを何とかしたいと思った。
 あと、食費は食材、それから外食費、それに「おつまみ」とか全部合わせて2万円ぐらいで、これは結構ではないかと思っている。なかなかに倹約出来てるのではないかと思う。それで先月は意外と書籍類を買っていて、トータル1万円になっていた。これは削りたいとは思わない。
 先月は舞台関係の観劇はひとつもなかったので、そういう支出は少なかったのかと思う。それでも展覧会とか映画とかで4千円ぐらい(まあ舞台をひとつ観れば一気に上昇するのだが)。12月からはこの月の結果を基礎と考え、節約できるところは節約していきたい。

 「肥満?」と心配したニェネントだけれども、ちょっとごはんの量を減らして、少しお腹も引っ込んだように見える。とりあえずは健康そうなので何よりだと思う(なんか、眠そうだ)。

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 今日は、ジョン・フォード監督の『アパッチ砦』を観た。
 

『タバコ・ロード』(1941) アースキン・コールドウェル:原作 ジョン・フォード:監督

 「Tobacco Road」というタイトルを聞くと、わたしなどはどうしてもイギリスのバンド、Nashville Teensが1964年に放ったヒット曲を思い出してしまう。別にこの映画からインスパイアされて書かれた曲ではないようだけれども、原曲はフォーク・ブルースらしく、地域としての同じ「タバコ・ロード」のことを歌っているのだろう(「おふくろは死んじゃって、おやじは飲んだくれだ」みたいな歌詞がある)。
 ちょっと映画のことから離れてこの曲のことを書いてみたいのだけれども、奏っているNashville Teens、アメリカでヒットしたのはこの曲だけだったけれども、イギリスでは小ヒットがいくつかあるようで、どうやらいまだにバンド活動は続いているようだ。
 曲はめっちゃくちゃカッコよくって、発表されたのが(まだ世の中は「ポップ」よ、という)1964年だというのにもうすっかり「ロック」しちゃってる。まあプロデュース(Mickie Mostだったらしい)とかエンジニアリング、編曲の勝利というか、「なんでこの曲一曲で終わっちゃったんだろう?」ともったいなく思う。しかしさすがにこの曲のパワーは多くのミュージシャンを惹き付け、Jefferson Airplaneをはじめ、Eric Burdonその他、実に多くのミュージシャンがこの曲をカヴァーしている。時代を先駆けた一曲だった、といってもいいのだろう。

 ということでこの映画の話になるけれども、アースキン・コールドウェルの原作小説がまずは売れに売れ(これは日本でも今も文庫本が出ている)、これを原作としたジャック・カークランドによる戯曲の舞台は大ヒット、ロングランだったという。その戯曲をもとにしてジョン・フォードが映画化したのだということ。
 ところがこの映画、まったく日本で公開されず、ようやく公開されたのは1988年なのだという。どうもこれは当時のGHQが、「この映画はアメリカの貧困白人層(プア・ホワイト)を描いているから、日本人には見せないね~」とやったらしい。さて、そんな悲惨な貧困層を描いた映画なのか?

 なるほど、もうほとんど廃墟になった建物の前にかつては栄華を極めたらしい一族の末梢らがゴロゴロしている。悲惨そうだ。
 ところがそこにとんでもないポンコツ車が乗り込んできて、「これから焚き木を売りに行くぞー!」みたいにやっている。突然にナンセンス・コメディーモードというか、その後の展開も常識外れもはなはだしい。「リアリズム」などというものはどこにも見つからないではないのか。

 わたしはこの冒頭の展開を観ていて、わたしがガキの頃にテレビでやっていた『じゃじゃ馬億万長者』というアメリカのコメディ番組を思い出してしまった。『じゃじゃ馬億万長者』というのは、テキサスかどこかの知性も教養もない一族がとつぜんに油田を掘り当ててしまい、大金持ちになってしまうのだが、しょせんバカはバカという騒動を毎週巻き起こすという番組だったのだが、この『タバコ・ロード』、知性も教養もないが大金持ちにもなれない一族の、あまりにバカなお話なのだ。まあ800ドルで高級新車を買ってすぐにボロボロにしてしまうとか、一族でホテルに泊まってやるぜ!みたいなところもあるのだけれども。

 そういうので、あとは『モンティパイソン』みたいなあんまりなナンセンス喜劇も思い浮かべるわけで、これはたいへんな映画だ。
 ただ、主人公老夫婦が「もう金もないから<救貧農場>へ入所するしかない」と、二人で丘を越えて歩いていくシーンは美しく、一篇の映画作品としてみごとな「オチ」というのか、「ただバカ騒ぎの映画じゃないんだぞ」というのがさすがにジョン・フォード、なのだろう。これ、けっこう繰り返して観たくなる魅力があるのでした。
 

2019-12-02(Mon)

 午後から雨になるかもという天気予報だったが、午前中から雨になった。仕事を終えて帰るとき、スマホをみると「わたしのウチのあたりはかなり激しい雨だよ」と出ている。ニュースではなく、スマホにわたしのウチの場所が登録されているので、変異があると知らせてくれるのだ。ウチ周辺の雨雲レーダー図も見れるのだけれども、「激しい雨」の地域はウチよりもちょっと東側のようだ。
 まあこういう情報を得られるというのもそれはありがたいことで、スマホにして一ヶ月になるけれども、ようやくいろいろと慣れてもきたし、「これは便利だ」と思うことも多くなった(まだ、「面倒な」と思うこともあるのだが)。

 それで自宅駅に戻るとたしかにかなりの雨で、傘も小さいので服もずいぶん濡れてしまった。帰宅すると、ニェネントはわたしのベッドの毛布の上で丸くなっている。

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 テレビを見ていると、「千葉県北西部で竜巻発生の恐れあり」などとのテロップも出る。千葉県北西部とはウチのあたりだろう。買い物の用もないから外に出かけたりなどしないけれども、冷たい雨は嫌だ。

 今日はテレビで国会中継をやっていて、珍しくも安倍晋三が出席して野党からの「桜を見る会」への疑問に答えるのだった。「反社会的人物が招待されていたのでは?」という件では、「今後反省して招待枠を考え直す」みたいな答弁で、つまり「もう招待しないからいいだろ!」みたいな開き直りだろうし、招待者リストについては「内閣府では<シンクライアント>というサーバーを使っているので、消去するとすべて消えてしまうのだ!」と煙に巻こうとする。
 夜のネットでは自民党は「これで逃げ切れた」と安堵したらしいが、こういう答弁で逃げるとわかっていたから、NHKはこのところあまりやらない「国会中継」を放送したのではないかと思う。

 夕方からは、ジョン・フォード監督の『タバコ・ロード』を観た。
 

『抜き射ち二挺拳銃』(1952) ドン・シーゲル:監督

抜き射ち二挺拳銃 [DVD]

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 あのドン・シーゲルの監督作品で、彼が初めて撮った「西部劇」だという。それまでのドン・シーゲルはB級暗黒街モノでキャリアを積んでいたらしく、この作品でも冒頭から主人公のナレーションで説明していくところとか、まさにB級映画の方法を引きずっているようでもある。

 「主人公のナレーション」と書いたが、この作品で「主役」とされているのはオーディ・マーフィという俳優で、彼は語り手である保安官(こちらを演じているのはスティーブン・マクナリーという俳優)に見込まれて副保安官になるのである。
 このオーディ・マーフィという人、俳優としても著名だけれども、それ以上に第二次世界大戦での「英雄」兵士として有名だったらしい。名誉勲章をいくつも叙勲され、1971年に飛行機事故で亡くなったときにはアメリカ軍による軍葬が行われている。たしかに、Wikipediaでこの人を調べてみると、「こりゃあすっごいわ!」という軍歴の持ち主だった。ただやはり退役兵士によくあるように、PTSDには悩まされたらしくもあり、ギャンブル癖も強かったらしい。

 そのことは置いておいて、映画の話に戻れば、この作品にはどこか昨日観た『荒野の決闘』との相似形がみてとれる。まずはクライマックスが保安官側と悪党一味との「決闘」にあるところ(この作品の原題は「The Duel at Silver Creek」という)。
 この作品の保安官側は、保安官と彼が雇った副保安官が中心で、これは『荒野の決闘』でのワイアット・アープとドク・ホリディの二人に対応する。さらに保安官と副保安官には二人の女性がからんできて、一種「四角関係」となる展開も似ている。
 ワイアット・アープがトゥームストーンの町の保安官を引き受けるのは、彼の弟が牛泥棒に殺されたことからなのだが、この映画でオーディ・マーフィ演じる「シルバー・キッド」は、父親が鉱山の採鉱権を奪う盗賊に殺されたことからきている。

 ただ、もちろん作劇、演出では『荒野の決闘』とはまるで異なる作品で、この作品では執拗な「ドリー撮影(横移動撮影)」が印象に残る。そして馬、馬、馬である。特に前半で、あくまでも鬣(たてがみ)をなびかせて疾走する馬があまりにカッコいい。それをどこまでも追うカメラ。あらゆるシーンで登場人物は「馬上の人」であり、ここでは「俳優」とは「馬を乗りこなせる人」の謂いではないのかと思えるほどだ。

 この作品でちょっと面白いのは、保安官は「早抜き、早撃ち」で名を馳せているわけだけれども、それが前半で敵に肩を射抜かれ、その障害で拳銃の引き金を引けなくなっていること、そのことを彼が隠していることがひとつのポイント。クライマックスの「決闘」シーンでは左手で銃を撃つのだが。
 そして邦題の『抜き射ち二挺拳銃』というのは、その保安官ではなくシルバー・キッドの方で、町でのちょっとした決闘シーンで、一瞬ながら両手で銃を撃つ「二挺拳銃」のシーンをみせるのであった。しかしこのシーン、場面的には映画の中で「彼の二挺拳銃、すごいだろ!」というような見せ方でもなくって、見逃してしまうほどにずいぶんとあっさりしたものではあった。

 他愛ないといえば他愛ない映画かもしれないけれども、それはそれで「映画的魅力」をいっぱい魅せてくれる作品ではあったと思う。
 

『變身・流刑地にて・支那の長城・観察(他三十八篇)』フランツ・カフカ:著(旧版「カフカ全集 3」より)

 ‥‥この一冊を読むのに、二ヶ月以上もかかってしまった。前の第1巻『城』も第2巻『審判・アメリカ』も一ヶ月ぐらいで読んでいるから異様である。とにかくは読むのに難儀した。ある意味、読むのがこんなにつらかった本もなかった。
 もちろん有名な『変身』や『流刑地にて』とかは以前にも読んでいることもあってちゃっちゃっと読めたのだが、それ以外の作品、どんなに短い作品でも、とにかくは読んでいて先に進まないことはなはだしい。「いったいカフカは何のことを書こうとしているのか」が行方不明になるというか、いつの間にかただ字面だけを追っている。まあこの全集を読み終えたらドゥルーズガタリの『カフカ マイナー文学のために』を読むつもりでいるけれども、そこでいくらかでも「カフカの謎」が解けることを期待する。
 

2019-12-01(Sun)

 十二月になった。寒さも厳しくなってすっかり冬になった。今日は外は晴天でいくぶん寒さも和らいだようだけれども、わたしは今日は一歩も外に足を踏み出さなかったし、また夕方には眠り込んでしまうのだった。
 十一月は舞台公演はひとつも観に行かなかったし、今のところ十二月にもそういう舞台観劇の予定はない。観たい公演がないということもあるけれども、そういう「舞台を観たい」という気もちが、どこかぷっつりと途絶えてしまったような気もする。それならそれで、家にこもって何かやろうではないかと思う。

 書き忘れていたが、『カフカ全集』の第3巻を読み終えた。ようやくである。次は第4巻を読むつもりだったが、先に一昨日に買った『普通の人々』を読み、そのあとにふたたび『カフカ全集』に戻ろうかと思う。カフカは年内にすべて読み終えるつもりもあったけれども、これはどうやら不可能になったようだ。「可」か「不可」かといえば「不可」だろうということだ。

 今日のDVDは、ジョン・フォードを離れて「西部劇」のシリーズから、ドン・シーゲル監督の『抜き射ち二挺拳銃』という作品を観た。