ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『真夜中の虹』(1988)アキ・カウリスマキ:脚本・監督

 印象としてだけれども、カウリスマキの映画はどれも短かい。じっさいどうなんだろうと確認してみると、この『真夜中の虹』は73分だし、80分以内の作品が多い。たまに100分なんていう作品があると「大長編だなあ」なんて感じだ。
 それでもこの『真夜中の虹』などを観ると「波乱万丈」というか、しっかりとしたドラマが描かれている。でも演出の中で、「描かなくても観客には伝わるだろう」というところは、本当に大胆に飛ばしてしまっている。その「飛ばし方」が実に気もちがいいというか、そこに実に「映画的」ともいえるものがあるように思うし、カウリスマキ作品の楽しみがあるのだ。

 フィンランドの鉱山で働いていた主人公カスリネンが、その鉱山の閉鎖で仕事を失い、ある縁でゆずってもらったキャデラックでフィンランドの南、ヘルシンキへと仕事を求めて行くのだが、強盗にキャデラック以外の全財産を奪われてしまう。
 日雇いの仕事をやっていて、駐車違反の切符を切っていたシングルマザーの女性イルメリと知り合い、その子供のリキ(10歳ぐらい)とも親しくなる。あるとき、かつて自分から金を奪った男に出会って彼をのしてしまうのだが、逆に主人公が逮捕され、即裁判で懲役刑を食らい、刑務所行きとなる。
 刑務所で同じ房になった男ミッコネンと意気投合し、イルメリに脱獄のためのカネノコギリを隠して差し入れしてもらい、2人脱獄する。船に乗ってさらに南の国へと逃亡しようと銀行強盗を行い、その金で裏組織に偽パスポートをつくってもらうが、ミッコネンはその裏組織ともめて重傷を負う。イルメリとリキともおち合い、死んでしまったミッコネンを埋葬し、港へと行く。そこからボートに乗って向かう大きな客船は、「Ariel」という船だった(「Ariel」というのがこの作品の原題)。

 鉱山が閉鎖されたあと、カスリネンは年配の同僚(あるサイトでは彼はカスリネンの父親とされていたが)と飲んでいて、その年配の男は「こうなると皆南へと行くが、南は吹き溜まりでそれから先も難題が待っている。オレは別の方法を選ぶ。オレの車はおまえにやるよ」と言ってトイレへと消える。「ああ、自殺するつもりなのか」と観客に予想させ、その通りの展開になるわけだ。
 カッコいいキャデラックに乗るのは快適だが、カスリネンは車のルーフをセットするやり方がわからず、「壊れてるんだ」と思い込む。
 車にはトランジスタ・ラジオが積まれていて、カスリネンはどこででもそのラジオで音楽を聴いている。それがこの作品での映画音楽にもなっていて、これも快適だ。
 イルメリと知り合うのもトントン拍子で、あっという間のこと。まず彼女のウチに泊めてもらうことになり、「子供がいるけどいい?」と聞かれて、「つくる手間がはぶける」と答えるのがいい。3人で海辺に行っててんでバラバラに寝っ転がってラジオを聞いているシーンが一瞬あり、それだけで「3人で仲が進展してるんだな」ということが伝わる。

 カスリネンが刑務所で知り合うミッコネンは、この時期カウリスマキ映画の常連だったマッティ・ペロンパーだ(追悼)。彼がスクリーンに姿を見せるだけで楽しい気分になってしまうのはなぜだろうか。
 刑務所の房の中で2人がさいしょに顔を合わせたとき、ミッコネンは握力トレーニング用のハンドクリップを握っていて、それを「パキッ、パキッ」とかいわせてるのがなぜかおかしい。
 「脱獄」もイルメリと示し合わせて実行したのではなく、イルメリから「誕生日祝い」のケーキと絵本の差し入れがあり、ミッコネンは先にさっさとケーキを切り分けて(切り分け方がヒドい)食べようとしてるのだけれども、そこでカスリネンが「今日はオレの誕生日じゃない」と言い、それではと探すとカナノコギリが出てくるわけだ(いいかげん警備のゆるい刑務所だな)。

 2人が脱走して塀を越え、夜の街を走って行くとウィンドウの中のマネキン人形2体が写される。「ああ、あのマネキンの着てる服を奪うんだな」と思ってるとウィンドウのガラスが割られて次のカットになり、2人はマネキンの服を着ている。こういうのも好きだ。
 このあと銀行強盗もやるわけだけれども、銀行へ飛び込んでいく2人をカメラは外から固定カメラでとらえただけで、そのままじっとしていて2人の強盗の様子を写すわけではない。そうすると2人が札束を振りかざして飛び出してくる。

 脱獄のあと、イルメリの息子のリキもしっかりしていて、電話で「自分のモノをバッグに入れて、〇〇時にどこそこへ行ってるように」と言われ、しっかりそのように行動する。

 深手を負ってキャデラックの中で横たわるミッコネンだが、「オレはここで寝るよ」と、ちょいと車をいじると、壊れていると思っていたルーフがちゃんとセットされるのだった。

 ラスト、港の桟橋から見える客船に向かうボートに3人が乗るとき、音楽は「虹の彼方に」がかかる。そうか、この音楽があったから邦題は『真夜中の虹』なんだな、と納得する。
 その船はメキシコへ行くのだ。この先も難関が待ち受けていることだろうが、3人で切り抜けて「虹の彼方に」の歌のように、夢が叶うことを願わずにはいられない。

 観終わって、そんな特別なストーリーというわけでもないだろうに、削られたデティールのすばらしい組み合わせで、「とってもいい映画を観た」という気分になれた。とにかく「うれしい映画」ではあった。