ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『美貌に罪あり』(1959)増村保造:監督

 昨日観た『日本橋』につづいて、山本富士子若尾文子の共演。この映画では二人は姉妹で、その母親役で杉村春子も出演していい味を出している。さらにプラスして、野添ひとみも出演している。
 原作は川口松太郎で、これを『夜の河』での脚色家、田中澄江が脚色を担当している。そして監督は増村保造なのである。期待が持てそうではないか。ただ、タイトルの「美貌に罪あり」というのはほとんど内容にそぐわないように思えたが。

 東京近郊の築百五十年の屋敷に住む吉野の家。今の女主人ふさ(杉村春子)は二人の夫に先立たれ、今はそれぞれの夫の娘と暮らしている。離れに温室をつくり、カトレアなどの花を栽培して売り、細々と生活している。花づくりには近所の農家の忠夫(川口浩)が手伝いに来てくれるし、園芸が本職の周作(川崎敬三)もアドヴァイスをくれる。
 長女の菊江(山本富士子)は前からあった周作との縁談を断り、家を出て若手舞踊家の藤川勘蔵(勝新太郎)のもとで日本舞踊を学んでいる。しかい自分の娘と勘蔵を一緒にさせたい勘蔵の後援者は縁談を断られ、勘蔵に稽古場からの立ち退きを要求する。勘蔵は愛する菊江と共にアパートへと移る。周作は菊江に思いを寄せているのだが。
 次女の敬子(若尾文子)は家の園芸業を手伝っていたのだが、幼なじみの忠夫の愛を振り切ってスチュワーデス試験に合格し、家を出てしまう。
 そんなとき、口が不自由でろうあ学校に通っていた忠夫の妹のかおる(野添ひとみ)が、学校をいやがって吉野の家にやって来る。かおるは周作に惹かれていて、園芸を手伝うのであった。

 つまり、長女の菊江、次女の敬子、それに加えてかおるの選ぶ生き方を、吉野の家を舞台に描いていくような映画。

 舞踊家としてのプライドの高い勘蔵は目の前の仕事を断ってしまったりするのだが、「それでは生活が成り立たない」と、菊江がマネージャー的に仕事を取ってくるようになる。
 スチュワーデスとして社会人になった敬子は忠夫が会いに来て生活ぶりを忠告しても耳を貸さず、華やかな生活を夢見て遊びのつもりで知り合った青年に危うく強姦されそうになる。忠夫とのよりを戻そうと敬子は忠夫に会うが、忠夫は園芸の道を進もうと
八丈島へ行くと言うのだった。
 菊江をあきらめた周作は持ち込まれた見合い話を進行させ、それを知ったかおるは打撃を受けるし、温室のカトレアの世話に失敗して全部枯らせてしまう。
 公団が吉野の家を買い上げたいという話を断ってきたふさだったが、期待をかけていた温室のカトレアが全滅したことを機会に、公団に土地と家を売り渡すことに決める。さいごに菊江と敬子を呼び、近隣の人らを集めての宴会を開くのだった。
 ときは土地の盆踊りの夜。盆踊り会場で忠夫に会った敬子は来年にはスチュワーデスをやめ、忠夫のいる八丈島へ行きたいと話す。
 責任を感じたかおるは家を出て鉄道線路の上を歩くが、列車の来る危ないところを追ってきた周作に救われる。かおるは「しゃべり方を学んで、周作さんが好きだと話したい」と書いたメモ帳を見せる。
 周作は見合い話を断り、かおるといっしょになることを決めるのだった。
 宴会の終わった吉野の家で、菊江はふさと二人で盆踊りを踊るのだった。そこに知人から菊江の貢献を聞いた勘蔵が訪れ、菊江に深く詫びる。
 敬子はスチュワーデスを続けながらも、八丈島の上空から島を見下ろし微笑んでいた。かおるはろうあ学校で発声のレッスンを受けている。菊江は勘蔵と共に、おそらくはテレビの舞台だろう、モダンダンス的な舞踊を踊っている。そしてふさは周作と共に軽トラックに乗り、吉野の家に別れを告げるのだった。

 うう、ストーリーを「概略でも」と思って書いていたら、すっごく長くなってしまった。わたしは映画の内容などすぐに忘れてしまうことも多いので、こうやって自分のためにもあらすじを書いているのだが。
 これだけ長くなってしまったように、内容のぎっしり詰まった映画で、これを87分とかで収めてしまったことも「すごい」と思ってしまう。これは要領のいい的確な演出、編集のたまものだろうし、そんな中でも「見どころ」はしっかり時間を割いている(例えば、菊江とふさとが座敷で二人きりで盆踊りを踊るシーンなど、かなりの尺を使ってもいる。
 題材は増村保造監督らしくもないように思えたが、この昭和30年代、開発と高度成長へと向かう日本で、ふさの家のような旧家が消えて行くさま、また、「派手な生活」を夢見た敬子の危機などに社会批判の視線もあるだろうか。ふさが家の最後の宴会で、近隣の人たちに笑みを浮かべながら「嫌味」たっぷりの挨拶を続けるところなど、「さすが杉村春子」というところか。
 しかしこの「決めどころをしっかり決めた」的確な作劇は見事で、田中澄江の脚本と共に、賞賛に値すると思った。また、山本富士子の「舞い姿」がたっぷり楽しめる、ということでも実にうれしい映画ではあった。