ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-12-11(Sat)

 ノートパソコンをみていると、「あなたの行動はハッカーからまる見えです!」とかいう警告がよく届き、今日も久々にそのメッセージが出た。まあわたしはパソコンのセキュリティということに無防備で「そりゃそういうこともあるかもしれない」とも思うが、最低限の対策はやっていて、パソコンのカメラレンズにテープを貼り付けてあるわけで、ぜったいに「まる見え」ではないのであります。
 たま~に詐欺メールで、「あんたの行動は動画で記録してあるから金払わないとバラ撒くよ」みたいなのが来てるけど、バラ撒きたければバラ撒けばいいと思う(そもそも、パソコンの前で「見られて恥ずかしいこと」などやってはおらんのだ)。
 まあこういうのはあからさまに「詐欺」なんだけれども、パソコンいじってると「あなたのパソコンはウィルスに汚染されてます!」みたいに言われて、無料だから「ウィルス対策のアプリ」をインストールしなさい、とメッセージが出ることがある。
 わたしは長いことMac愛好派だったわけで、今のWindowsにチェンジしてそれほど日にちが経つわけでもないから、さいしょにそういうメッセージが出たときには、「そんなのMacだったらさいしょっから機内に組み込まれていたのにな」などと思いながらもインストールすると、パソコンをざっとスキャンしてくれて「これこれこんだけの不具合がありますね~。この不具合をクリアするには有料のアプリをインストールしてちょ!」などと言われた。「なんだ。無料じゃねえのか」、こりゃあ立派な「詐欺商法」だなと思って、以後そういうメッセージはみんな無視しておる。

 今日は土曜日。まだ外が暗い時間に目覚めて起き出すが、だんだんに外が明るくなってくると、青空の拡がるいい天気のようだ。いつもの土曜日のように「ウィークエンド サンシャイン」を聴きながら、洗い物を洗濯機に放り込んで洗濯をやらせる。
 洗い終えた洗濯物を外に干そうとリヴィングの窓を開けると、和室で寝ていたニェネントくんが「おや、窓が開きましたね」と、のそのそとリヴィングに移動してきて、わたしのスキがあれば外に飛び出してやろうとする。そこはニェネントの方を振り向いてニェネントを威嚇しながら、さっさと干してさっさと窓を閉めてしまう。ニェネントくんは「残念!」とばかりにリヴィングの出窓の上に跳び上がる。

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 今日はニュースで、あの元MonkeesのMike Nesmith氏が亡くなられたとの報を読んだ。わたしはMonkeesにはさほど興味もないが、Mike Nesmith氏のことはけっこう頭の隅っこで気にしていた。それでちょっと、Monkeesのことも調べ直してみた。

 MonkeesはイギリスのBeatlesの圧倒的な人気に対抗し、まずはBeatlesの「A Hard Day's Night」のようなテレビ番組をつくろうとオーディションで選ばれた4人で、そのテレビ番組「ザ・モンキーズ・ショー」に並行してレコードも出そうじゃないかということだったが、実は選ばれた4人は、じっさいのレコーディングで演奏することは期待されていなかった。
 選ばれた4人のうち、Davy JonesとMicky Dorenzの2人はまったく楽器の演奏は出来なかったが(しかし、「歌手」としてレコーディングしたキャリアは持っていた)、Mike NesmithとPeter Torkの2人は「ミュージシャン」であり、Mikeは作曲することが出来たし、Peterはギターのみならずバンジョー、そして鍵盤楽器もプレイ出来るマルチ・プレイヤーだったわけで、2人は自分たちの「ミュージシャン」としてのキャリアゆえにオーディションに受かったと思っていた。
 ところが、そのテレビ番組でのコミカルな演技はともかくとして、1966年から始まったファーストアルバムのレコ―ディン・セッションでは彼らは演奏することはなく、いわゆる「レッキング・クルー」と呼ばれるスタジオ・ミュージシャンが準備され、彼らはただ「歌を歌うだけ」だった。
 このことに最も憤慨したのがMike Nesmithで、製作者サイドに怒りをぶつけ、まずは何とかそのファーストアルバムに自作曲を2曲入れさせ、演奏も自分とPeter Torkを中心にやることを認めさせて、「次のアルバムでは制作に関わらせる」との確約を得る。で、このときのMike作の曲、けっこうカントリー・ロックの佳曲として聴きごたえがあった(実はわたし、Monkeesのそのファーストアルバムを持っていたのだ)。
 ところが製作者サイドはそんな確約を無視し、ファーストアルバム録音時のアウトテイクを中心にセカンドアルバムをリリースし、「彼らの3枚目のシングルのB面にはMikeの作曲した曲を使う」という約束も反故にし、いちどはB面に別の曲を使った盤をリリースしようとする。
 このことにMikeは激怒し、予定された自分の曲をB面に入れたシングル盤を独自にプレスし、「こっちがホンモノ」との記者会見を開くのだ。「男気」だね。この記者会見は成功し、製作者サイドの代表者は更迭され、Mikeの主張したシングルが「正式盤」としてリリースされる。
 クーデターに成功したMikeは、自ら次のアルバムのプロデューサーを選び、基本メンバー4人をメインとしたレコーディングを行うのだ(このあたりの話も実に興味深いのだけれども、あまりに長くなるので割愛)。
 けっきょく、まずはPeter Torkがバンドを抜け、その翌年にMikeもMonkeesを脱退。このあとは自らのルーツである「カントリー・ロック」に焦点をあてたFirst National Bandで活動することになるのだ。
 その後、様々な活動歴のある方だが、わたしの記憶に残るのは、Bert Janschの9枚目のソロ・アルバム「L.A.Turnaround」(1974)のプロデューサーがそのMike Nesmithだったことで、そのアルバムの中でMikeも何曲かBertといっしょに演奏している。
 このアルバムは多くの人が「Bert Janschのベストアルバム」とも挙げていて、わたしも少なくとも彼の「ベスト3」には入る作品だろうとは思う。
 Bertの音楽の魅力の一方に、その「陰鬱さ」ということはたしかにあるのだけれども、この「L.A.Turnaround」ではまずはイギリスで録音をスタートし、そのあとロサンゼルスに移動して仕上げられるのだけれども、他のBertのアルバムでは聴けない「明るさ」に満ちた音づくりになっていると思う。そういう、Bertの音楽性を引き出したのはやはり、Mike Nesmithの功績だっただろうか。今はただ追悼。


 今日はまた「Spotify」を聴いていて、ちょびっとショッキングなことに気づいた。
 実は「外部出力」で外のオーディオ・コンポに音を出したとき、右チャンネルの音が異様に小さいのだ。これは右チャンネルに印象的なリードギターの音がある曲を聴いたとき、そのリードギターの音がまるで聴こえないので気づいたこと。
 いろいろとチェックしてみたのだが、はたして「右チャンネル」からまったく音が出ていないのか、それとも異様に音量が小さいのか、今のところよくわからない。とりあえずソフト的には異常はないように思え、どこかハード的な原因があるようには思える。
。これは接続するコードに原因があるのか、それともパソコン側のジャック部の中にゴミが入ってしまって接続出来てないのか、そこのところさえよくわからないという、情けない状態ではある。さて、どうやって解決すればいいのか?

 そういうことに関連してというか、今日はパトリシア・ハイスミスの『ゴルフコースの人魚たち』から「僕には何もできない」という短篇を読んだ。
 主人公は、となりに住んでいる男よりも「自分の方が社会的地位にせよ、収入にせよ、いろんな能力でも上回ってるぜ!」と思っているのだけれども、あるとき、自分の家の窓枠をペンキで塗ったときに失敗してしまう。そのことを、家に来た恋人に「となりの家の人の方がうまくやれそうね」と言われてショックで、けっきょくはその彼女と別れてもしまう。だんだんに、「僕には何もできない」という思いが募ってしまうのだが、そんなときに友人に女性を紹介され、付き合うようになる。
 けっきょくは、その女性のおかげで、そのコンプレックスを克服するという、まあ「あるよね」といえばあり得る話だけれども、その「ペンキの塗りそこね」から主人公がどんどん自信を喪失してしまうあたりの描写が、いかにもパトリシア・ハイスミスらしいというか。