ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2019-03-04(Mon)

 雨の一日。肌寒い。昨日買った折りたたみ傘がさっそく役に立った。昨日も書いたように、「折りたたみ傘」は傘のいらない電車の中などで、バッグにしまえるからいい。今日のように一日ずっと雨の日でも、電車に乗ると手に傘を持っていない人もけっこういる。わたしのように濡れないようにしてバッグに入れているのだろうが、ちょっと興味を持って、帰りに大手町駅で乗り換えのとき、手に傘を持っている人と持っていない人との数を数えてみたりした。ごくわずかな時間での<調査>だから、何らの妥当性があるわけでもないけれども。‥‥結果。傘を持って歩いていた人:18人、手に傘を持っていなかった人:6人。ま、別にどっちがエラいとか、そういうことでやったわけではありませんが(手ぶらの方が楽だとは思うけれども)、ちょうど4分の1の人は「手ぶら」だった。

 仕事から帰宅して、昨日食べないで残しておいた残りの<天ぷら>で、「天ぷらそば」をつくって昼食。お手軽。外のそば屋で食べるほどの充足感はないけれども、まあまあの味というか。

 今日は、昨日も書いたクノップフの国内展の図録に収録のエッセイを読んでいて、そのジョセファン・ペラダン、ジャン・デルヴィルらとの関係などを捉えた西澤信彌氏のエッセイ「クノップフの聖杯探求」を読み終えた。
 このジョセファン・ペラダンという人物の名は記憶にあったわけだけれども、そうれはどうも、澁澤龍彦が彼のエッセイ集『悪魔のいる文学史』の中で彼のことを取り上げていたゆえ、だったようだ。この人物のことは異様に面白くもあり、調べてみるとここにまたも奇矯なる人物、スタニスラス・ド・ガイダという妖怪も出現する。
 このことは西澤信彌氏のエッセイには書かれていないのだけれども、ペラダンとド・ガイダは共に「薔薇十字カバラ団」を創設するのだが、ド・ガイダという人物の前にはまたまた、エリファス・レヴィというオカルティストの親玉がいるわけで、奥深いというかキリがないのだが、ま、このあたりのことは澁澤龍彦の著作に詳しいらしいのでそのうち読むことにして保留して、どうもチャールズ・マンソンを思わせるようなエグい活動をしたド・ガイダに対して、ジョセファン・ペラダンにはそもそも熱烈なカトリック信者であったことからド・ガイダとたもとを分ち、「カトリック薔薇十字団」(西澤信彌氏のエッセイでは「聖堂薔薇十字会」)を創設して、1892年から97年にかけて、「薔薇十字美術展」を主宰する。こういうところで、プロデューサー/ディレクターとして有能だったであろうペラダンの活動も読み取れ、ボードレールユイスマンスらのデカダンス文学を引き継ぎながらも、美術家をも巻き込んで行くという意味で、世紀末において非常に重要な人物であった、ということができると思う。
 ここでなぜ、ベルギーの画家であるクノップフが?という疑問があるのだけれども、1885年、当時27歳の新進画家のクノップフは意外といっちゃっていて、ブリュッセルで開催された「二十人会展」という展覧会に、『ジョセファン・ペラダンに倣って—至高の悪徳』という作品を出品するのだけれども、ちょっとしたスキャンダルからその作品は破棄されてしまう。当時のペラダンは同じベルギーの画家のフェリシアン・ロップスといい関係にあって、まさにこの前の年、ロップスはペラダンのために『至高の悪徳』という作品を描いていた。
 そのスキャンダルからペラダンはクノップフという画家に注目し、自書の扉絵をクノップフに依頼したり、パリの画廊での展覧会の招待作家に推薦したり、などということになる。さらに1892年には第一回の「薔薇十字美術展」において、ペラダンはクノップフギュスターヴ・モローやバーン=ジョーンズ、フェリシアン・ロップスに匹敵する画家と評価する。
 長くなるのではしょるけれども、実はクノップフはだんだんとペラダン的オカルティズムから距離を取るようになり、逆にここに同じベルギーの画家、ジャン・デルヴィルがペラダンに接近してくる。
 わたしはペラダンがどんな思想を持っていたのか、詳しいことはまるで知らないのだけれども、どうも今観ると、ジャン・デルヴィルの作品こそが、そんなペラダンの思想をみごとに描いているようには思ってしまうところがあるのだけれども、どうもペラダン自身はジャン・デルヴィルの作品をそんなに気に入ってはいなかったらしい。それが西澤信彌氏のエッセイを読むと、デルヴィルが描いたペラダンの肖像が、ちょっとばかりリアルすぎた(世俗的すぎた)らしい。ペラダンとしては「もうちょっと謎めいた、神秘的な人物に描いて欲しかったな〜」ということだったのだろうか。デルヴィルには、有名な『スチュアート・メリル夫人の肖像』という作品があるけれども、せめてあのくらいに<謎めいて>描いて欲しかったのだろうか。

        

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ジャン・デルヴィル『スチュアート・メリル夫人の肖像』

 長くなったので、結論まで書いたわけではないけれどもこのあたりで。

 今日は寝るときに、週末にエアチェックしたMDで「ウィークエンド サンシャイン」と「世界の快適音楽」とをつづいて聴いていたのだけれども、するとニェネントがベッドの下の狭いスペースにこもりっきりで出てこない。「どうしたのだろう」と思っていたのだが、それがMDを聴くのをやめて寝ようとしたとたんにベッドの下から出てきてベッドにとび上がってきて、「遊んでよ〜」って来るのだった。考えてみるとニェネントは人間が嫌いというかこわいというかで、エアチェックしたMDにはDJの声がいっぱい入っていたので、「人間の声がする、いやだいやだ」と思っていたのだろう。それは悪いことをした。
 心配していたニェネントの左目だけれども、「目やに」というのではない「ごみ」のようなものが目尻にたまっているのだけれども、おととい見たようなうっ血とか充血とかもないようで、今のところ大丈夫だろうかと思っている。