ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2019-03-05(Tue)

 今日は晴れ。帰りに小曽根氏と待ち合わせてウチに行き、いっしょに「相談会」をやろうと思っていたのだけれども、ちょうどすぐにテレビで「国会中継参議院予算委員会)」が始まり、ふたりでいっしょにそんな国会、与党のていたらく、国民無視の姿勢に立腹しながらずっと野次を飛ばしながら見てしまい、小曽根氏との作業はまるで進まないのだった。
 とにかくはもう、日本はほぼ「全体主義国家」になってしまっている。「民主主義」は地に堕ち、福祉は完全になおざりにされている。辺野古の埋め立ては「軟弱地盤」だということもはっきりし、仮に辺野古埋め立てを「是」としたところで、この埋め立て作業は完遂されるような作業であるわけもなく、ただ沖縄の海の珊瑚礁を破壊し、ジュゴンの棲息地を奪うだけのことである。そのために今後、何千億、何兆という予算を注ぎ込むのである。そして安倍政権はアメリカから過剰な兵器を買い付けることに専念し、「世界平和」という理念にも背を向けている。
 こうやって何十年も生きてきて、まさか自分がこんな「全体主義国家」に住むようになるとは夢にも思わなかった。わたしは勝手に、人というものはだんだんに過去の歴史から学習し、「より良い世界」を目指すようになるものと思い込んでいて、もちろん民主主義も福祉も発展し、「世界平和」の概念も浸透し、現在の「国連」を超える、カントの言った「国際連合」も現実化するのではないかと思ったりしていた。このことは先日読んだウンベルト・エーコの最終講義集『世界文明講義』の「巨人の背中に乗って」の章からも、人類の未来を夢見たのだけれども、ところがアメリカではトランプが大統領になり、日本では安倍晋三、その他、世界での右派反動勢力の隆盛には絶望的な気分になる。
 小曽根氏とも話をして、「あまり温和な表現をやっている場合ではないのではないか」ということにもなった。ただ、あまりに怒りが大きいと、そのことが表現の行先をさまたげることにもなりそうで、そのあたりは<冷静>になろうということで、小曽根氏と別れた。

 さて、昨日も書いたフェルナン・クノップフについて、まだまだ書きたいことがあるのだけれども、今日は、「クノップフは未だに日本で正当に紹介されていない」ということは言っておきたい。
 まず、この日本でのクノップフの展覧会は、彼単独のものとしては、今わたしがその図録を読んでいる1990年の展覧会しか開催されたことがなかったと思われるのだが、それ以外では2009年にBunkamuraでの「ベルギー幻想美術館 クノップフからデルヴォーマグリットまで」という展示があったようだけれども、これは主に、このあたりのベルギー美術のコレクションで驚くべき規模を誇る「姫路市立美術館」の所蔵作品から成っていたらしい。このことは、2017年の同じBunkamuraでの「ベルギー 奇想の系譜」でも同じく「姫路市立美術館」所蔵作品中心の展示だったわけで、ま、つまりはクノップフのまともな紹介はされていないのではないかと思われるのだけれども、じっさいに「画集」で検索してみても、国内では「クノップフ展」開催と同じ1990年に、岩崎美術社から「夢人館」というシリーズでいちど出版されているだけ。この「夢人館」というシリーズにはどこか奇妙なところがあり、いろいろと書いてみたいところもあるのだけれども、今日はこのあたりにしておきましょうか。

 夜は、「このごろ早くに寝てしまうのが習慣になってしまっているので、もうちょっと<夜の時間>を使いたい」ということで録画してある映画を観ることにして、ラース・フォン・トリアー監督でビョークの主演した「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を観た。皆が「ドイヒーな映画」というのだが、いい映画だったと思うぞ。