ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2019-07-05(Fri)

 今日は、三ヶ月に一度の国分寺のクリニックへの通院の日。予約時間が2時すぎとけっこうゆっくりしているので、気に入っている三鷹古書店に行って、いい本があったら買いたいな、という計画。先週も三鷹には行っているのだけれども、時間がなくて古書店に立ち寄るどころではなかった。今日はゆっくりと時間があるので、じっくり選んでみたい。
 仕事を終えて食事をして、電車に乗って三鷹に着いたのはまだ12時半。じっくりと書棚を見て歩き、やはりこの古本屋の品ぞろえは好きなのだが、今日は美術書でそこまでにそそられる本はなかった。けっきょく、土方巽の『病める舞姫』と、店頭の100円コーナーから『必読書150』という本と、川上未映子の『あこがれ』とを買った。『病める舞姫』は今は入手困難かと思っていたのだけれども、今も白水社のUブックスで手軽に買えるのだった。まあ箱入り豪華本だからいいか。
 このあと国分寺に移動して、まだ時間があるので駅前のビルの「東急ハンズ」へ行ってみる。目的は、例のおとといの舞台での照明の使い方に絡んでいて、つまりあの種の手持ちライトというのは「注意事項」として、「人の眼にあててはいけない」とか書かれているのではないかと思ったということ。
 そういう「ハンディライト」を並べているコーナーはすぐに見つかったが、どの商品の裏側にも、「注意事項」として同じ文句「目に向けると大変危険ですので光源の直視及び人や動物への照射は絶対にしないでください」と書かれていた。いや、「注意事項」ではない、「厳守」と書かれている。厳しく守らなければならないという項目を、おおやけの場で堂々と破っているのだ。

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 今日も眼の状態はやはり正常、普通ではないのだが、この「厳守」とされる文句を読むと怒りがこみあげてきて、「これは<泣き寝入り>してはいけない」という気分になった。帰宅したらとにかく主催者に連絡しようという気分になった。

 クリニックはかんたんな問診と採血検査と。今はもう自覚症状もないし、自分でもほとんど問題にしてはいない。とにかくは処方箋をもらって薬局で薬をもらった。
 ほんとうはこの日は夜に横浜に出て「地点」の舞台を観るつもりで、チケットも買ってあったのだが、今はとても舞台を観る気分ではない。とんだ損害であるが、とにかくは帰宅する。

 帰宅して「池袋芸術劇場」に電話し、経緯を話す。わたしとしては主催者側で眼科医を紹介し、主催者側の人間と共にその眼科医に行って診察を受けたいということ、そして主催者のこの演劇のホームページに、「謝罪」の一文を掲載していただきたい、との要望を伝えた。あとのことは明日以降だ。
 

2019-07-04(Thu)

 昨夜寝るとき、明かりを消して目を閉じると、普段であれば閉じられた目の裏側の視界は真っ暗になるところが、ふわりとグレー色になっているというか、いつもとは違うし、どこか両目の奥に違和感を覚えるのだった。

 今朝目覚めてもどこか目の感覚がおかしいというか、違和感が残っている。あらためて、ああいう演出の舞台を観たことを後悔するし、あの演出には問題があったのではないかという思いが強くなる。
 観客が危険な目に会う演劇というものはないわけではなく、「ゴキブリコンビナート」などはそのことを「売り」にしてもいるところがあるけれども、それは「モノが飛んでくるかもしれない」とか「水しぶきで服が汚れるかもしれない」とかいうのだが、もちろん飛んでくるものが観客に当たって負傷するようなものは投げられないし、「水」に関しては「水族館劇場」などでもあることだけれども、水がかかる恐れのある前方の座席にはビニールシートが置かれ、「いざ」というときにはお客さんはそのシートを持ち上げて水を防ぐのである。
 昔は寺山修司の「天井桟敷」が観客への精神的暴力(?)で問題になったことがあったかと記憶しているが、今回わたしがこうむったような、「肉体的損傷(と言ってしまっていいのではないかと思っている)」を舞台で被るというのは、「事故」「事件」のレベルなのではないかと思う。
 今回の『プラータナー』の公演は池袋が初演ではなく、タイでもフランスでも公演されていたというが、そういう観客の被害が表ざたになっていないというのは解せないことではある。わたしが「特殊例」ということだろうか? わたしの眼がほかの観客に比べて特別に脆弱だったということだろうか。だからといってわたしはあのような、「観客に向けて強い光をあてる」という演出が許されるものではないと思う。

 仕事を終えて帰宅して、インターネットでそのような目の障害をいろいろと調べてみたが、まったく同じといえる症例は見つからない。似ているのは「日食網膜症」というヤツで、これは日食のときなどに裸眼で太陽を見つめた結果、目に障害が出るというもので、だいたい5日から一週間で障害は消えるということが書かれていた。もうちょっと様子を見た方がいいのだろうか。

 そんな、目の事ばかりを考えて、他のことはまるで手がつかない一日になってしまった。
 

2019-07-03(Wed)

 今日は午後1時から、池袋の東京芸術劇場で演劇『プラータナー』を観る予定。休憩をはさんで4時間という長編。わたしは最近の岡田利規氏の演出とは相性が悪く、ほんとうは観る前に「どうしようか」とちょっと迷っていて、チケットは買ってしまっているけれどもパスしてしまおうかという気もちもあった。しかし、土曜日、日曜日に会った人たちもたいてい観ているか、これから観に行くということだったし、タイの現代史をからめ、主人公がアーティスト志望という設定はそれは面白そうだ。ちょっと無理して、行くことにした。

 仕事を終えて近くの日高屋で「とんこつラーメン」の昼食をとり、時間があるのでやはり駅のそばの量販中古書店に立ち寄ってみた。ざぁっと店内を見回して、気になったのが『薔薇の名前』の上巻のみが700円台で置かれていたことで、まるで読んだ形跡のない帯付きの美本。この売値はかなりの破格値だと思う。また読みたいとは思っていた本だけに、「買ってしまおうか」と迷った。しかし「どうせ買っても一度しか読まないだろうし、それなら図書館で借りればいい」という気もちもあり、今日は買うのは見送った。そのかわり、文庫本でシャーリイ・ジャクスンの『くじ』を買った。意外とわたしはこの本は持っていなかったのだ(むかしは文庫になってなかったし)。

 池袋へ行き、開場した劇場内に入る。席はいちばんうしろの席で、不安なのはメガネを忘れて来てしまったこと。まあわたしはそこまでの近視でもなく、普段はメガネはまったく不要なのだけれども、例えば居酒屋で壁に貼られたメニューが読めなかったりはする。映画の場合はメガネがなければできるだけ前の方の席を選ぶから問題ないが、こうやって最後列と決められてしまったとき、はたして字幕が読めるだろうか?(今日の演劇はタイの小説が原作だし、俳優たちもタイの人たち、日英語字幕付きの公演なのだ)

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 さて開演したのだが、実は土曜日に飲んだとき、M・Dさんは前半を観たところで出てしまったという話で、他の皆は「後半に異なった展開が見られたのに」というのだった。観ていて、スタッフらも表に出てきている舞台構成は面白いのだけれども、独白~モノローグの連続する舞台はわたしの期待するような「演劇」ではない。これだったらわたしも前半で出てしまってもいいな、などと思うのだったが、聞いていたように、後半に異なる展開がみられるのだったらやはり観ようという気分で、後半に突入した。
 たしかにここで、主人公ともう一人の青年、そして主人公の愛人との三角関係というか3Pのシーンが繰り拡げられ、そこでの手持ちカメラからの映像との絡みとか、とても刺激的で興味深い展開だった。

 しかしそのあと、舞台が暗くなり、役者が手に持ったハンディライトで観客席を照らすというシーンがあり、そのハンディライトの光量も強かったのだけれども、その光が思いっきりわたしの眼に入ってしまった。「まぶしいな」と思ったのといっしょに、「舞台でこういうことやっちゃいけないんじゃないかな?」という思いにとらわれ、そのまぶしさが目から取れないこともあって、そのあとの舞台に集中できなくなった。
 そういうところで半ば怒りを感じながら、「もう外へ出たい」というわけにもいかずに座席に座り続け、その時間ははっきり言って「苦痛」だった。

 終演と同時に劇場を飛び出し、家に帰った。わたしとしてはこの日の舞台は「観なかった」ことになる。やはり観なければよかった、とは思うばかりだった。
 

2019-07-02(Tue)

 借りていた本を返しに図書館の分館へ行き、「何か借りようか」と広くはない館内をみて歩き、イーヴリン・ウォーの『ピンフォールドの試練』と多和田葉子の『雪の練習生』とを借りた。

 その図書館の分館に行くとき、通り道の事務所の建物の駐車場に2匹のネコが並んで横になっていた。「仲がいいですねえ」と思って写真を撮った。

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 しかし、歩きながら考えて「なぜあの2匹はわたしが近づいても逃げて行かなかったのだろう?」と考えてしまった。1匹は多少わたしのことを警戒していたようだけれども、もう1匹はまるでわたしのことなど気づかないような様子だった。あれは具合が悪いとか体調が良くないとかそういうことで横になっていて、もう1匹が心配してそばにいてあげてたのではないかと思った。
 図書館を出て近くのスーパーで買い物をして、30分ぐらい経っただろうか。もういちどさっきネコのいたところに通りかかった。やはりまだ2匹のネコは同じところにいたけれども、わたしが思ったように、1匹はとても具合が悪いようだ。もうべたりと地面に横になっていて、見ているとときどき、胸のあたりが妙な具合にけいれんしているのがわかった。わたしとネコたちとの間には駐車場のゲートがあって、写真は撮れるけれどもある程度以上は近づけない。せいいっぱい近づくと、もう1匹の方は逃げて行こうとするのだけれども、あまり遠くには行かないで様子をみている。

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 やはり、具合の悪い仲間を心配して、そばに寄り添ってあげているのだ。見た感じ、もう具合の悪い茶トラのネコは近づいたわたしに注意を払うことも出来ないようだ。臨終のときが近いように見える。この茶トラネコは以前にこのあたりで見かけたことが何度かあるネコだと思う。見た感じはもう長くはないように思える。可哀そうだ。
 しかし、ネコは自分の体調が悪いときとかは、自分がいちばん心落ち着くところ、静かなところへ行こうとするものだ。こんな、人通りもある、ものかげでもないところで倒れ込んでしまっているというのは、急激に体調が悪くなったとかだろうか。つまり毒を盛られたとか、そういう可能性がある。野良ネコの生はいつも危険と隣り合わせだ。せっかくもう1匹が見守ってあげているじゃまをしないよう、わたしはその場を離れた。

 でも、もう一方のネコの「同胞愛」というのか、具合の悪い仲間を心配して寄り添ってあげている姿には、それを「愛」といっていいのかどうかはわからないけれども、心打たれるものがあった。
 あのあとあのネコたちがどうなったのか気になるけれども、そんなにウチの近くでもなく、あまり行かない場所だし、また様子を見に行っても何ができるわけでもない。でも気になる。あのネコが安らかに眠れたことを祈るしかない。
 

2019-07-01(Mon)

 7月になった。夏至も過ぎてしまい、これからはどんどん日が短くなっていく。今はわたしが目覚める朝の4時もいくぶん明るいのだけれども、そのうちに暗くなってしまう。そしてわたしが出勤で外に出て駅に向かうときも、暗い夜道を歩くことになってしまう。
 今朝は霧が深く、駅までの道はすっかり灰色に包まれてしまっていた。

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 注文してあった「ジョセフ・コーネル展」の図録が届いた。ちょっと高かったけれども美しい本。しかしわたしは表紙の選択を間違えてしまって、三種類あるうちでいちばんつまらないものを選んでしまった。ちょっとがっかりだった。

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2019年6月のおさらい

Live:
●NHK交響楽団定期公演『メシアン トゥーランガリラ交響曲パーヴォ・ヤルヴィ:指揮 NHK交響楽団管弦楽 ロジェ・ムラロ:ピアノ シンシア・ミラー:オンド・マルトノ @赤坂・サントリーホール 大ホール

舞台:
●『THE GREAT TAMER』ディミトリス・パパイオアヌー:コンセプト・ヴィジュアル・演出 @与野本町彩の国さいたま芸術劇場
●『カシオペアの背中』岡田智代:ダンス・出演 大谷能生:音楽・出演 @三鷹・SCOOL

展覧会:
●『宮本隆司 いまだ見えざるところ Miyamoto Ryuji Invisible Land』@恵比寿・東京都写真美術館

映画:
●『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』マイケル・ドハティ:監督
●『旅のおわり 世界のはじまり』黒沢清:脚本・監督
●『主戦場』ミキ・デザキ:監督

Book:
●『ロリータ、ロリータ、ロリータ』若島正:著
●『ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる』小出由紀子:編著
●『ニコライ・ゴーゴリウラジーミル・ナボコフ:著 青山太郎:訳
●『ホフマン短篇集』E・T・A・ホフマン:著 池内紀:訳
●『書きなおすナボコフ、読みなおすナボコフ若島正沼野充義:編
 

『カシオペアの背中』岡田智代:ダンス・出演 大谷能生:音楽・出演 @三鷹・SCOOL

 この「SCOOL」という空間が、ギャラリーの一室のようなまさに「ホワイトキューブ」なスペースなわけで、それを最大限に生かした公演だった、という印象。「音を出す」ということを越えた、パフォーマーとしての大谷さんの存在、その絡み方がとってもよかったし、「日常の室内(キッチン?)」と想像させるようなふるまいから進み行き、とつぜんに「ブロードウェイ・ミュージカル」的世界に突入される岡田さんもまた素晴らしかった。短い感想だけれども、とても気に入った舞台だった。