ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2019-07-03(Wed)

 今日は午後1時から、池袋の東京芸術劇場で演劇『プラータナー』を観る予定。休憩をはさんで4時間という長編。わたしは最近の岡田利規氏の演出とは相性が悪く、ほんとうは観る前に「どうしようか」とちょっと迷っていて、チケットは買ってしまっているけれどもパスしてしまおうかという気もちもあった。しかし、土曜日、日曜日に会った人たちもたいてい観ているか、これから観に行くということだったし、タイの現代史をからめ、主人公がアーティスト志望という設定はそれは面白そうだ。ちょっと無理して、行くことにした。

 仕事を終えて近くの日高屋で「とんこつラーメン」の昼食をとり、時間があるのでやはり駅のそばの量販中古書店に立ち寄ってみた。ざぁっと店内を見回して、気になったのが『薔薇の名前』の上巻のみが700円台で置かれていたことで、まるで読んだ形跡のない帯付きの美本。この売値はかなりの破格値だと思う。また読みたいとは思っていた本だけに、「買ってしまおうか」と迷った。しかし「どうせ買っても一度しか読まないだろうし、それなら図書館で借りればいい」という気もちもあり、今日は買うのは見送った。そのかわり、文庫本でシャーリイ・ジャクスンの『くじ』を買った。意外とわたしはこの本は持っていなかったのだ(むかしは文庫になってなかったし)。

 池袋へ行き、開場した劇場内に入る。席はいちばんうしろの席で、不安なのはメガネを忘れて来てしまったこと。まあわたしはそこまでの近視でもなく、普段はメガネはまったく不要なのだけれども、例えば居酒屋で壁に貼られたメニューが読めなかったりはする。映画の場合はメガネがなければできるだけ前の方の席を選ぶから問題ないが、こうやって最後列と決められてしまったとき、はたして字幕が読めるだろうか?(今日の演劇はタイの小説が原作だし、俳優たちもタイの人たち、日英語字幕付きの公演なのだ)

        f:id:crosstalk:20190703124228j:plain:w400

 さて開演したのだが、実は土曜日に飲んだとき、M・Dさんは前半を観たところで出てしまったという話で、他の皆は「後半に異なった展開が見られたのに」というのだった。観ていて、スタッフらも表に出てきている舞台構成は面白いのだけれども、独白~モノローグの連続する舞台はわたしの期待するような「演劇」ではない。これだったらわたしも前半で出てしまってもいいな、などと思うのだったが、聞いていたように、後半に異なる展開がみられるのだったらやはり観ようという気分で、後半に突入した。
 たしかにここで、主人公ともう一人の青年、そして主人公の愛人との三角関係というか3Pのシーンが繰り拡げられ、そこでの手持ちカメラからの映像との絡みとか、とても刺激的で興味深い展開だった。

 しかしそのあと、舞台が暗くなり、役者が手に持ったハンディライトで観客席を照らすというシーンがあり、そのハンディライトの光量も強かったのだけれども、その光が思いっきりわたしの眼に入ってしまった。「まぶしいな」と思ったのといっしょに、「舞台でこういうことやっちゃいけないんじゃないかな?」という思いにとらわれ、そのまぶしさが目から取れないこともあって、そのあとの舞台に集中できなくなった。
 そういうところで半ば怒りを感じながら、「もう外へ出たい」というわけにもいかずに座席に座り続け、その時間ははっきり言って「苦痛」だった。

 終演と同時に劇場を飛び出し、家に帰った。わたしとしてはこの日の舞台は「観なかった」ことになる。やはり観なければよかった、とは思うばかりだった。