ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ハーヴェイ・ミルク』(1984) ロバート・エプスタイン:監督

 サンフランシスコで市議会議員として自らゲイであることをカミングアウトし、ゲイの人々や社会的弱者の権利拡充のために戦い、1978年に市庁舎内で前市議会議員に当時のサンフランシスコ市長と共に射殺された、ハーヴェイ・ミルクの生涯、その政治活動を描いた記録映画。
 ハーヴェイ・ミルクの政治的参謀や支持者のインタビューもふんだんに取り入れ、当時の記録映像を交えながら、彼の政治活動の全体像も描かれ、また彼を射殺した前市議会議員のことも描くことにより、当時の射殺事件の全貌がある程度見渡せるつくりになっている。

 このハーヴェイ・ミルクという人の活動が以後、どれだけLGBTQの人たちの権利拡充の力になったことか、当時のサンフランシスコの街の映像からもうかがい知れる。
 例えば今はアメリカ各地、そして日本でも大きなイヴェントになっている「レインボー・パレード」も、元をただせば当時のサンフランシスコのハーヴェイ・ミルクの活動地区、カストロ地区で「ゲイ・デイ」のパレードとして始まったもののようだし、ハーヴェイ・ミルクの支援、後押しがあってこそ、シスコのイヴェントとして定着したのだろう。

 ハーヴェイ・ミルクの政治活動の頂点は、当時巻き起こった「ゲイの教職者を解雇出来る」という「条例6」の成立に反対し、阻止する運動を起こして、当初は条例の賛成者が多かった市民らの意識を転向させ、1978年の11月の住民投票で「否決」に持ち込んだことだろう。同時にこのことが彼を射殺した前市議のダン・ホワイトの「憎しみ」をも増大させたのだろう。

 そのダン・ホワイトによる凶行はどのように行われたかということ、ハーヴェイ・ミルクの死を知った何千もの市民らがその夜、市庁舎へのキャンドル行進を行った「圧倒的な」映像(同時に「暴動」も発生するのだが)、そしてダン・ホワイトの裁判でのまったく不公平な陪審員の選出(ゲイに好意的な人物は選出されなかった)などが描かれる。
 裁判で、ホワイトは拳銃と替えの銃弾を用意して市庁舎の窓から侵入していたにもかかわらず「計画性はなかった」とされ、わずか数年の刑の判決となる。
 ホワイトという男は元消防士で、当時ゲイらに強い嫌悪感を持っていたようで、「ゲイ・デイ」のパレードは「裸の人らが街を行進している!」と攻撃している。そして「条例6」が否決されたとき、政治的挫折感からか、一度は市議会議員を辞任する。しかし周囲から反対されたのか、すぐに「辞任」を取り消し、復帰させてもらおうとするのだが、(あとでホワイトに射殺される)マスコーニ市長に「復帰」を否認される。この「恨み」がホワイトの犯行の動機のようではある。

 このドキュメンタリーの中に、一般市民でハーヴェイ・ミルクを支持した人らもインタビューを受け、その中に自動車工という男性がいたのだが、この人は当初「ゲイなんてとんでもない」という意識を持っていたというのだが、市議会議員になったハーヴェイ・ミルクの主張・政策に耳を傾けるうち、「彼は正しい」と支持することになるのだ。

 映画の最後、エンドクレジットの終わりに、4年ほどで仮釈放されたダン・ホワイトは、その翌年に自ら命を絶ったということが知らされる。
 このことはWikipediaによると、ホワイトの服役中に彼の妻は子供を出産したのだが、その子供は障害児だったといい、ホワイトはそのことを自分の「殺人」への神罰だと捉えていたという。このダン・ホワイトという男もまた、当時の時代・社会に抑圧されていた人物だったのではないだろうか。

 もうわたしは、ハーヴェイ・ミルクが「条例6」に反対の運動をするあたりからは、涙なくしては観られなくなってしまった。素材映像の編集も見事だったわけだろう。
 このハーヴェイ・ミルクのことは、やはりゲイであることを公言しているガス・ヴァン・サント監督によって、ショーン・ペンの主演で『ミルク』(2008)として映画化されている。観てみたいのだが、配信サーヴィスのリストにはこの映画はないようだ。