ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『戦中・戦後の暮しの記録 君と、これから生まれてくる君へ』(2018) 暮しの手帖社:編

 暮しの手帖社は1969年に『戦争中の暮しの記録』を刊行し、これは先日まで再放送されていた連続テレビ小説とと姉ちゃん』の終盤のクライマックス・エピソードとして描かれていて、わたしも『とと姉ちゃん』を見て、その『戦争中の暮しの記録』のことをあらためて知ったのだった。
 それから49年経った2018年、暮しの手帖社がふたたび戦争体験の手記を募ったのがこの本。今回は「戦時中の記録」のみならず、国内や外地(主に満州)での戦後の混乱期の記録をも含め、ちょくせつ体験された方からの投稿だけではなく、親など体験者からの「聞き書き」を含めた投稿も呼びかけ、全2390通の応募から157通を選びまとめた書物となったということ。

 通読して思うのは、この本がまさに「暮しの記録」だということであって、例えば空襲によって市街地のどれだけの地域が焼け失せたのかとか、どれだけの人が犠牲になったのかということは書かれていない。ただ基本的には投稿された方が体験したこと、眼にしたことの記録である。だから、「いったい『焼夷弾』というのものが目の前に落下してくるというのはどういうことか」ということが、具体的に読み取れることになる。これはその爆破によって被害を与える「爆弾」ではなく、落下したあたりを焼き尽くすことが目的だったということが、読んでよくわかることになる。
 そして、日本中のありとあらゆるところで空襲の被害があったということから、まさに(沖縄を含めての)本土が戦場であったことが伝わってくる。単に毎日の空襲の恐怖だけでなく、「食べるものがない」ということがまた切実な問題なのだ。

 わたしなどは満州などでの日本人の暮しについてほとんど知ることもなかったのだけれども、実は中国の人たちと比べて「カースト制度」なのかと思うほどに生活ランクに差異があったようで、そのことが日本の敗戦後に現地の人々らが日本人を襲うことになったという。8月9日のソヴィエトの参戦以降の満州の惨状を読み、初めて「満州からの引き揚げ」の過酷さを知ることとなった。そのような人たちには、戦時中よりも戦後の何年かの方が過酷だったのだ。

 わたしの印象に残ったのは、北海道に住んでいた終戦当時十歳だった男性の投稿で、この方の8つ年上の兄は特攻隊員で、8月18日に出撃予定だったという。兄は無事に実家に帰還したのだが、その直後に町の人たちが家にやって来て、兄に子牛の屠殺を依頼して来たのだ。兄は体にロープを巻き、マサカリと包丁とを持って子牛を裏山に連れて行った。夕方、兄はむしろに肉の塊を包んで帰って来たという。
 町の人たちは「さすが特攻帰り!」と兄を誉めたたえたというが、兄は無表情だったという。母はそんな兄を見て「こんなにも戦争は人間を変えてしまうのか」と嘆いたという。
 わたしが思ったのは、この町の人たちの「残酷さ」こそがショックだった。わたしの勝手な思いだが、特攻帰りの兄に屠殺を頼んだということには、「特攻隊員なのに死なずに帰って来た」兄への、「おめおめと生きて帰ってきて」という「懲罰」を含んだ複雑な感情があるように思える。兄が無表情になってしまうのは当然のことだろう。わたしには、戦争を経てのこういう人の心こそがいちばん恐ろしいという思いがする。

 あと、心に残ったのが「飼い犬」たちの運命のことで、国内(本土)でも戦争初期に「国への供出」として飼っていた犬を差し出すということがあったという。これは、中国北方へ出兵する兵士のために、犬の毛皮を防寒のために使ったのだということだ。飼っていた犬が連れて行かれるとき、それまでその犬と楽しく遊んだ記憶のある子どもは、どんな思いでその犬を見送ったことだろう。
 一方で終戦後、満州から本土へ帰るとなったとき、飼っていた犬は連れて行けないわけで、わたしが読んだ投稿では中国の人に犬を託して来たというが、もっと悲惨なケースもあったことだろうと思う。

 今げんざい、ウクライナイスラエルガザ地区などでの被災者の報道を目にして、心を痛めることがあるわけだけれども、その被災者は80年前の日本や満州での被災者と変わるものではない。そういう意味で、この『戦中・戦後の暮しの記録』を読むことで、げんざいの世界の戦場の悲惨さを想像することができる。戦争の被災者というものは「普遍的」なものであるということが、ただ悲しいことではある。そしてただ、もうこのような悲惨なことが起きない世界を願うしかない。