夜、もう寝ようとわたしが和室に行くと、ベッドの上でニェネントくんが丸くなっている。そしてわたしが近づくとベッドから跳び下り、床に転がしてある「ネコトンネル」のなかにもぐり込んで行く。これがこのところの日課になっていて、せっかく買った「ネコトンネル」もそれなりに役に立っているだろうかと思う。ただ、ニェネントくんはその「ネコトンネル」のことを何だと思っているのだろうか。「わたしからのシェルター」のつもりなのかと思わないでもないが、でもそういうつもりなら、すぐそばの押入れのなかに逃げた方が「シェルター」として役立ちそうなものだから、やはり「ネコトンネル」のことは遊び道具だと認識してるのかと思う。だからわたしも、「ネコトンネル」のなかに隠れたニェネントくんにちょっかいを出し、かまってやることも日課になっている。だいたい、ニェネントくんに買ってあげるネコおもちゃの80パーセントは遊んでくれなくってムダになってしまうわけだから、「ネコトンネル」で遊んでくれるのはとってもうれしい。
写真は暗い部屋で撮ったのでしっかりボケてしまっているが。

きのうは季節外れに暖かい日だったけれども、今日はしっかりと寒い日になった。こういう日は夜にベッドへ入ると、ニェネントくんがベッドを温めてくれていたものでホカホカと気もちがいい。うれしい暖房装置である。
この日の昼食はカップ麺でかんたんにすませ、夕食には久々に「お好み焼き」をつくった。ずいぶん長いこと「お好み焼き」はつくらなかったなあと思ってこの日記で検索すると、8月のはじめにはつくっていて、それ以前も3~4ヶ月おきぐらいずつにつくっているようだった。意識してなかったけれども、ほとんど等間隔のインターヴァルでつくっているということに、自分でもちょっとおどろいてしまった。そういうインターヴァルで、わたしのからだが自然と「お好み焼き」を欲するのか。では、「お好み焼き」の何をわたしは欲するのだろうか。「小麦粉」なのか。 ほとんど「お好み焼き」のときにしか使うことのない「とんかつソース」の味が恋しくなるのだろうか。
しかしお好み焼きというものはついつい分量を多くつくりすぎてしまうのが毎度のことで、今回も満腹になってしまったのだった。
『重力の虹』の読書は相変わらずあまり進行しないのだけれども、今読んでいる長~いセクションは登場人物のひとり、V2設計者のフランツ・ペクラーが自分の人生を振り返る内容。このセクションで独立した「短編小説」のように読めるもので、同時にナチスドイツのV2開発の流れも読み取れ、けっこう内容も濃くって読みごたえがある(その分、読むのに時間がかかるのか)。ペクラーと、収容所に入れられている彼の娘のイルゼとの関係にはホロリとさせられる。
ネットの記事などを読むと、あいもかわらず「高市首相を批判する人らへの罵倒(と言ってもいいんだろう)」の記事が連なっていて、「いったいいつまでこんなことがつづくのだろう」と、暗鬱な気分になってしまう。ただ、いくらかずつは「高市首相の『台湾有事』発言はヤバかったのではないか」という意見も多くなってきているようではある。
そんななかでおどろいた記事があって、平日の昼間に「ひるおび」というニュースショー番組があるのだが(わたしはこの番組の司会者が大嫌いなので、ぜったいに見たりしないのだ)、そのなかで某コメンテイター(落語家、らしい)が、「なぜ高市さんを非難するのか。中国が言ってくるのはわかる。ただ、日本でもそういう人がたくさんいるってことは、あなたがた、なんで“日本人じゃないの?”という気すらする」と発言されたというのだ(こうやって「切り抜き引用」するのはよろしくないのだろうが、けっきょくこういうことを言っていたらしいのだ)。
「テレビ」という、公共空間のような場で、このような「分断をあおる」ような発言をする人が出てきたということは、危機的状況だと思う。わたしはけっこう怒っていて、もっと長々とこのことを書いてしまったのだけれども、いちおう自粛して縮め、ここまでということにした。明日以降、その書いたものを掲載するかもしれないが。