午前中に、西のコンビニへ買い物に出かけた。今日も雨やカミナリは来なかったけれども、前線がずっと停滞しているのか、空を見ると青い空、そして灰色の雲、まっ黒な雲とがまだら模様を描いていた。

きのうはエアコンをまったく使わないいちにちになったが、今日は最高気温も32℃ぐらいまで上がり、エアコンのお世話にはなったのだった。
午後からニェネントくんに「おやつをあげるよ!」と「ちゅ~る」を出してあげ、そのあとわたしはリヴィングに寝っ転がって足を組み、本を読んでいたのだけれども、「ちゅ~る」を食べ終わったニェネントくんはわたしの方にやってきて、組んでブラブラさせているわたしの足にじゃれつこうとしてくるのだった。前足でちょっかいを出してきて、かみついてこようともする。
え~! そんな、ニェネントくんがわたしにじゃれついてこようとするのなんて、何年ぶりのことだろう。今日は何か頭がおかしくなったんじゃないかと心配してしまうよ。
それで、わたしの足にかみついてこようとするときに、小さな声で「にゃあ~」とかないている。わたしに対して鳴き声をあげるということもめったにないことで、おどろいてしまった。「こんなことはめったにない」からと、わたしもニェネントくんをかまうように足をブラブラとさせてニェネントくんの気を引く。たまにちょびっとだけかみつかせてやるけれども、ニェネントくんにとって遊びの「甘噛み」だから痛くはない。もしもニェネントくんが本気を出してわたしにかみつくとか攻撃してくれば、電光石火の早業(はやわざ)で「ガブッ」と食らいついてきて、ぜったいに「流血の惨事」になることはまちがいない。
しばらくのあいだ、そうやってニェネントくんと遊んで、わたしには楽しい午後になった。
しかしニェネントくん、いったい今日はどんな気分の変化だったのだろうか。それがわかればわたしは毎日でもニェネントくんの気分に答えてあげて、「飼いネコとじゃれ合う楽しい家庭」をやらかしたいものだが。ニェネントくんがそういうネコではないもので、わたしはちょっと淋しい思いをしているのだよ。
ネットの記事を閲覧していたら、いま銀座の商業ビルで新作を公開しているジュリアン・オピーへのインタビュー記事があったのを読んだ。
ジュリアン・オピーの展覧会はむかし観た記憶もあるし、好きな美術作家だ。最近は彼の作品を模倣したようなイラストがネット上にも増えているような気がするが、やっぱりジュリアン・オピー本人の作品と比べられるものではない。
この日読んだ記事で、ジュリアン・オピーにとって「美しいもの」とは何かという質問に答えていて、それがこころに残ったもので、ここに書き写しておきたい。
私にとって美とは「エンゲージメント」。つまり関わる、関与するという言葉と近しいと思っています。突然周りの世界や人と関わりを持ち、「繋がった」と感じる瞬間に美しさを感じます。客観的にはタージ・マハルやファッションモデルも美しいのでしょうが、本当の美しさとは、自分の中から外に出て何かと繋がった時に感じる、衝動的なものだと思います。
夕方から、YouTubeでこの週末だけ無料公開されているチリのストップモーション・アニメーション映画『オオカミの家』を観た。
この映画は春にウチのとなり駅の映画館でも公開されていて、「面白そうだから観に行こうかな?」と思っていた映画だったから、こうやって「無料公開」されることはうれしいかぎり。
しかし、映画のポスターを見たときから感じていたことだけれども、この「美的感覚」はやはり、わたしには合わない。理由もあるのだろうけれども、カメラも常にフラフラ動いていて、観ていて気分もよろしくはない。「これを映画館の大きなスクリーンで観ていたら、具合悪くなっていたかもしれないな」などとは思うのだった。美術(インスタレーション)と映画との融合として、試みは興味深いとは思ったけれども。
今読んでいる『万延元年のフットボール』にせよ、読んでいてダウナーな気分になるところはあるし、「どうしてこういうのばかり読んだり観たりしてるんだろうなあ」などと思ってしまったのは事実。