この映画は、ルイス・ブニュエルにとって初めてのアメリカ合衆国とメキシコとの共同製作となり、またブニュエル初の英語作品でカラー映画となった。
さいしょ、プロデューサーはロビンソン・クルーソー役にオーソン・ウェルズを推したそうだが、ブニュエルは彼は太りすぎだし声が大きすぎると言って断った。それでもプロデューサーはひげを生やしたウェルズの姿を見せようと、ブニュエルに『マクベス』を見させたのだった。そしてその結果ブニュエルはオーソン・ウェルズではなく、マクダフ役で出演していたアイルランド出身の男優、ダン・オハーリーが気に入ってしまい、彼に主役をやらせたのだった。映画完成後、ダン・オハーリーは私財を投じてロサンゼルスでの上映資金を調達したという。その結果だか、ダン・オハーリーはこの映画でアカデミー賞主演男優賞の候補となり、その後アメリカで多くの映画に出演した。そして「えええっ!」と驚くのは、彼は『ツイン・ピークス』でアンドリュー・パッカードを演じていたのだった。
そうしてこの映画は『昼顔』が公開されるまで、ブニュエルのアメリカでもっとも成功した映画になったのだった。また、メキシコで作品賞と監督賞を含む6つの映画賞を受賞し、1954年のベネツィア映画祭で金獅子賞の候補にもなった。つまり、大成功を収めた映画だった、ということだろう。
映画は1952年の7月から、7週間かけて撮影されたが、これは当時のブニュエルには異例のゆっくりしたスケジュールだったらしい。しかし映画完成後も公開は遅れ、1954年の8月にニューヨークでプレミア上映された。
映画のストーリーは原作の一部をはしょってる他は、大きな原作との相違はないらしい。もちろんわたしは原作を読んだことはないが、デフォーが原作を発表したのは1719年で、作品の時制はその時代のこと。だから主人公のロビンソン・クルーソーは奴隷を買うために船旅に出ていたわけだし、無人島でのクルーソーの「心の支え」は、難破した船から持ち出した「聖書」だったし、キリスト教的な考え、価値観が全編をおおっている。終盤は「フライデー」と名付けた原住民と2人で暮らすようになるが、クルーソーが彼に英語を教えても自分のことは「マスター(主人)」で、主従関係をつくろうとはしている。さいしょクルーソーが彼と出会ったときには彼の足に鎖をつけ、「奴隷」として扱おうとするようだが、彼が「足が痛い」というとすぐに反省して鎖を外してやるわけで、そういうところがクルーソーの魅力のひとつだし、島での「創意工夫」がまた、観客の眼にも勝算を受けるだろう。
さいしょ、乗っていた船が嵐で難破、座礁した折には最低限の荷物とともに猫のサム、犬(シェパード系)のレックスを島に助け出すのだが、猫のサムはそのうちに仔猫を産み、みんな野生化していなくなってしまう。一匹なのに仔を産んだというのは「処女懐胎」なのかとも思うが、まあ船の中でほかの猫と出合っていたのだろう。
以後、犬のレックスはクルーソーの「良きパートナー」として連れ添って生活するけれども、島での生活が始まって14年目に、レックスが老衰で死んでしまう。ここでなんとかレックスを生きながらえさせようとするクルーソーは感動的だし、介抱実らず海岸で倒れたレックスを抱きしめるクルーソーには、わたしも同情してしまった。どこかで、ブニュエルが「犬が死んでしまったクルーソーの悲しみをこの映画で描きたかった」と発言していたというのを読んだ。
このあと、レックスの代わりと言うのはちがうけれども、フライデーとの出会いがあるわけだ。これはある意味「人間社会への復帰」を目指すリハビリ、でもあるだろうか。ロビンソン・クルーソーは漂流後28年目にして、フライデーと共にイギリスへと帰る船に乗り込むのだ。
ブニュエル的な演出といえば、まず冒頭、無人島にひとり上陸したクルーソーが食べ物を求め、木の上の鳥の巣の中にあった卵を食べようとするのだが、その卵の殻を割ると、中ではヒヨコがうごめいているシーンが印象に残る。これは原作にもある場面なのだろうか。そして、父の反対を押し切って船乗りになったクルーソーが、寝ていて父の出てくる「夢」をみるという、ちょびっとシュルレアリスム的なシーンがあった。その夢で父は「神は彼を許さない」と語るのだ。クルーソーとして、「父を乗り越える」という試練があったという夢だろうか。
そしてクルーソーがフライデーに「神」のことを教えようとする場面、フライデーはクルーソーに「神が全能なのだったら、なぜ悪魔を滅ぼしてしまわないのか」と聞くわけで、これはブニュエル自身のキリスト教への根源的「疑問」ではないのか、とも思ってしまうのだった。
映画として、(わたしは原作は読んでいないとはいえ)デフォーの原作をそこまで改変せず、きっとこの原作のテイスト、雰囲気を損なわずにこうやって映画化していることは、それだけで賞賛に値することだと思うし、ロビンソン・クルーソーの無人島での孤独、そして生き抜くための「創意工夫」によって、島を「文明化(!)」して行くさまは、(ブニュエルらしくもなく?)現代の視点から基本は批判を加えることもなく、やはり根源的なところで原作の18世紀的「人間賛歌」に忠実な映画ではないか、とは思えるのだった。
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