「サパティスタ民族解放軍(Ejército Zapatista de Liberación Nacional)」略称「EZLN」はメキシコ南部のチアパス州を拠点に活動する先住民族の組織で、その活動は1960年代に結成された民族解放軍(FLN)に起源があるとされ、1983年にはEZLN部隊が結成された。
1994年1月1日、北米自由貿易協定(NAFTA)の発効日に合わせ、「NAFTAは貧しいチアパスの農民にとって死刑宣告に等しい」としてチアパス州ラカンドンにおいて武装蜂起を決行し、メキシコ連邦政府に対して「(第1)ラカンドン密林宣言」という、武装闘争宣言を発表した。
このとき、サパティスタ民族解放軍は先住民を中心とする、約3000人のゲリラ組織だったが、メキシコ政府は軍による包囲攻撃、空爆など徹底的な鎮圧を図った。このときメキシコ市において和平を求める10万人規模のデモ行進が起こり、メキシコ政府は停戦を発表、そしてEZLNも以後、武装ゲリラ路線を取ることはなくなった。
以後の政治交渉で、EZLNは先住民の「民主主義、自由、正義」を求める運動を継続し、ネオリベラリズムに対する異議申し立てを行った。1996年には、先住民の権利と文化の尊重を約束する「サンアンドレスの合意」をメキシコ政府との間で締結。以後、さまざまな紆余曲折を経ながら、EZLNはチアパスに複数の自治地域を持ち、自給自足の生活をつづけながら、世界に発信しつづけている。
EZLNの軍事指導者、スポークスマンは「マルコス副司令官」で、彼は例外的にチアパスの先住民ではないのだが、EZLNの「声明文」の作成、記者会見、集会の開催、集会での演説、キャンペーンの指揮などでカリスマ的指導力を発揮していた。彼が「副司令官」を名乗るのは、「真の司令官は人民である」との信念によるもの。
EZLNの方法論や主張は、従来の左翼ゲリラと一線を画しているため世界的な注目を得ている。EZLNは、最初のポストモダン的革命運動であると言われているが、それはEZLNがインターネットを介して大々的に自らの主張を展開し、またそれによって世界的な支援を獲得したために、もはや武力などの実力を行使せずとも隠然たる影響力をメキシコ政府に対して持つに至ったという、まさにIT時代の革命運動(「国際ゲリラ」とも言われる)だったからである。この点において、EZLNの手法はテロリズムに頼る過去の左翼とは異なった革新的手法だと言える。
また、EZLNはメキシコからの独立や、政権の転覆と政権の奪取を目的とする反政府運動ではなく、世界的な新自由主義グローバリゼーションがもたらす構造的な搾取と差別に対して闘うことを目的とした運動であるという意味においても従来にない左翼ゲリラであった(多くはWikipediaによる)。
この『インターネットを武器にした<ゲリラ> 反グローバリズムとしてのサパティスタ運動』という書物には、2002年までのことしか書かれていないわけだが、その後もEZLNは先住民による地域的自治を確固なものとして今に至っているようで、ネットで検索をすると、日本からもチアパス地区のEZLNによる自治区を訪れ、集落を見学して「おみやげ」を買って帰った人の記述を読むことができる。
下の写真は、そんなチアパスの自治区の売店で売られている、チアパスの人々(先住民)らによって描かれたポストカード。「No A La Guerra」というのは「戦争反対」というメッセージのようだ(調べたら、こんなチアパスの手づくりの民芸品を取り扱って販売する店が日本にもあるようだし、Amazonでも販売されているようだ)。

ただマルコス副司令官は十年ほど前に「副司令官」の地位を退き、今はオートバイでメキシコをひとり旅して、メキシコ各地でまるでゲバラのような活動を続けておられるようだ。
マルコス副司令官の政治的立場は、学生時代は毛沢東のマルクス主義の影響を受けたとされているが、のちにイタリアのアントニオ・グラムシの影響が強くなったと書かれている。今はどこの出典かわからなくなってしまったが、彼をアナーキストとする記述もあった。たしかに中央集権制を取らず、指導者としての権力を自ら持たない姿勢など、ひとつのアナーキズムの具現化の例ともいえるのではないかと思う。
そして、いま現在チアパス地区に散在する自治区のあり方、住民(先住民)にこそ主権があり、国家権力の介入を排除するやり方、「自給自足」的に経済的に自立しているさまは、「革命を経ずして実現されたアナーキズム的社会の具現化」とも認識され得るものとして、一方で柄谷行人氏の説く「世界共和国」のマクロな世界とは対極の、実現されたミクロなアナーキズム社会のあり方として未来を照射するものではないだろうか。わたしにはそう思える。
わたしはもう少し、このEZLN、マルコス副司令官とインターネットとのかかわりのことを知りたかったのだが、そういうところでは少し、物足りないところのある読書ではあった。
