ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『忘れられた人々』(1950) ルイス・ブニュエル:監督

 『黄金時代』(1930)以降のルイス・ブニュエルはまず民俗学への興味もあって、1933年に『糧なき土地』というドキュメンタリーを撮る。これはスペインでも最も貧しい地域の悲惨な農民の生活を撮ったもので、これを「シュルレアリスム・ドキュメンタリー」と呼ぶ人もあるという。以後長く、スペインでの上映は禁止されてしまった(YouTubeで観られるようなので、そのうち観てみようかと思う)。
 当時、ハリウッド~パリ~マドリードと移動をつづけてたブニュエルだが、マドリードの商業映画会社から「大衆向けの映画」を制作しないかと誘われ、ブニュエルは自分の名前を出さないことを条件にこれを承諾し、匿名で何本かの映画を制作したようだ。
 その後ブニュエルはスペインで仕事を得、その後スペイン大使の誘いでふたたびハリウッドへ移る。しかしその地で冷遇され、そのあいだにスペインはフランコ体制になってしまったために帰国することをあきらめてニューヨークへ移動、MoMAニューヨーク近代美術館)の映画部門の仕事を得、ラテンアメリカで反ファシズムプロパガンダとして制作された映画の収集、審査、編集を行う制作チームの一員として働いた。
 ところがこのときサルバドール・ダリが自伝を刊行し、その中でブニュエルを「共産主義者」で「無神論者」だと書いたため、MoMAでの立場は悪化した。さらにMoMAの映画部門の予算も削られ、ブニュエルは仕事を辞めるのだった。

 1946年になって、ブニュエルはガルシア・ロルカの戯曲『ベルナルダ・アルバの家』の翻案の計画を立ててヨーロッパへ向かい、その途中、メキシコシティでロシア人亡命プロデューサーのダンシガースと出合う。このダンシガースとの出会いは、それまで10年以上も正式には映画を撮ることから離れていたブニュエルを、正式に映画監督として復帰させるわけで、けっこう大きな意味を持っていたのではないかと思う。以後、しばらくはダンシガースの制作で何本もの映画を撮ることになるわけだ。
 ダンシガースはロルカの戯曲に興味は示さなかったが、ブニュエルと仕事をすることを望み、まず『グラン・カジノ』(1947)を制作する。この作品は興行的に失敗したが、ダンシガースはそのときメキシコでは「ストリートチルドレン」を題材にした映画がメキシコで注目されているところから、ブニュエルメキシコシティの市街に出て題材を取材した。
 このとき、急きょダンシガースは『のんき大将』という脚本の映画化を最優先することになり、この監督をブニュエルが担当した。映画は低予算、短期日で制作されたがメキシコで大ヒットして、次作に自分の主張を通せるようになったのだった。

 こうして撮られたのがこの『忘れられた人々』だが、当初ブニュエルはもっと商業的なアイディアを提示したのだが、ダンシガースは「もっと真面目なもの」を提案した。これを受けてブニュエルは、メキシコシティのスラム街のゴミ捨て場に12歳の少年の遺体が発見されたという新聞記事から、映画のアイディアを発展させた。

 映画は、言ってみればイタリアの「ネオレアリズモ」タッチの作品ではあり、メキシコシティで貧困に苦しむ、救いのない子供たちの生活を、リアルでシリアスに描いたものだった。
 すでに撮影中から多くのスタッフが「なぜこんな惨めな映画を撮るのか」とブニュエルを非難し、途中で辞めて行ったスタッフもいたし、特にラストのゴミ捨て場のシーンの撮影に強く反対したスタッフもいて、脚本家の一人は映画のクレジットに自分の名前を載せることを拒否した。
 公開されたあとも多くの観客は「この映画はメキシコ人の感性とメキシコ国家への侮蔑だ」と受け止め、なんとフリーダ・カーロは上映後、ブニュエルと話すことを拒否したという。
 ダンシガースは「失敗」を恐れ、急きょ映画の冒頭にニューヨーク、パリ、ロンドンのストックされていた空撮映像を付加し、「大都市の抱える問題にこのメキシコシティも例外ではない」とのコメントを加えたが、もう観客数は減少していて効果はなかった。
 しかし、オクタビオ・パス(このときメキシコの外交官であった)はこの作品を断固支持し、その努力によって『忘れられた人々』は1951年のカンヌ映画祭のメキシコ代表に選ばれ、ついにブニュエルは監督賞を受賞、さらに国際批評家連盟賞も受賞したのだった。
 このカンヌでの受賞で作品はメキシコで2ヶ月にわたって再公開されて大きな反響を得たし、ブニュエルは一躍、世界的有名人になったのであった(ブニュエルは以後、生涯メキシコに留まるのだった)。

 この映画が強烈なのは、この貧困と犯罪の連鎖には救いもないことで、救いを求めた少年も、足をひきずろうとする悪友のため改悛の機会を断たれ、悲惨な未来を迎える。少年の母親もやはり貧困の連鎖のなかの人物で、「父親のわからない息子を愛することなどできない」と少年を突き放すのだ。非行グループにいつも襲われる盲目の芸人にせよ、「被害者」とはいえども、少年たちへの仕打ちはまっとうなものではないだろう。この非行グループの世界では、み~んな連鎖の輪でつながっているのだ。
 しかし、いくら『黄金時代』から20年が経っているとはいえ、この作品のある意味での「まっとうさ」は、ちょっと『黄金時代』からは想像もできないものだった。
 しかし、夜中に寝ている少年がみる「夢」の描写は、まさにしっかりと「シュルレアリスム的」な演出で、短かいシーンではあったが、不可思議で不気味、観ていても不安をかき立てられるのであった。わたしはやはり、この『忘れられた人々』は記憶にとどめるべき、すばらしい映画だと思う。