ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』(2024) バーセル・アドラー、ユバル・アブラハーム、ハムダーン・バラール、ラヘル・ショール:監督

  

 このドキュメンタリーの舞台は、いつもニュースになる「ガザ地区」ではなく、ガザ地区から東にあるパレスチナ人居住地区の「マサーフェル・ヤッタ」。地理的には、下の地図のようなところに位置している。

         

 この地域は、ガザ地区のようにイスラエル軍による空襲が行われたり、軍による攻撃が行われていたりするわけではないのだけれども、イスラエルはもう何年も、この土地で長く生活してきたパレスチナ人を追放し、その土地にイスラエル人の入植者を入れようとしているのだ。
わたしも、ガザ地区で今起きていることは、報道によって知っているのだけれども、このマサーフェル・ヤッタで起きていることは、恥ずかしながら知らなかった。客観的な事実としては、Wikipediaの「マサーフェル・ヤッタ」の項に、けっこう詳しく書かれている。

 この『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』というドキュメンタリーは、まずはそのマサーフェル・ヤッタで生まれ育ち、少年時代からイスラエル兵が故郷を破壊して行く様子をずっと目にしていて、この現状を撮影して世界に発信しようとしているパーセルアドラー、そしてパレスチナ人の苦境を助けようとやって来た、ジャーナリストのユバル・アブラハームとの出会いがあり、さらに、ハムダーン・バラールとラヘル・ショールとが加わって、この作品がつくり始められるのだった。

 作品はまず、イスラエル兵のブルドーザーでパレスチナの家族の住まう家が破壊され、家族らはほら穴のなかに家財を運び、そこで生活を始めるという2019年の映像から始まる。
 このイスラエルによる破壊行為のやっかいなところは、パレスチナの人たちを攻撃してくるのが、武装したイスラエル人の入植者だというあたりだろうか。つまり、住まいなどを破壊するのはイスラエル兵だが、そのあと残っているパレスチナ人を力づくで排斥するのは、イスラエル兵士ではないイスラエル市民だということだろうか。
 わたしはその事実に驚いたのだが、Wikipediaの「マサーフェル・ヤッタ」の項には、2021年9月に80人から100人の覆面をしたイスラエル人入植者らがパレスチナ人の村落を襲撃し、この事件に関しては当時のイスラエルのヤイル・ラピド外務大臣がこれを「暴力的な事件」と呼び、「恐ろしいことで、テロである。これはイスラエルのやり方ではないし、ユダヤ人のやり方でもない。これは暴力的で危険な過激派であり、我々には、彼らを裁きにかける責任がある」と反応したと書かれているが、この『ノー・アザー・ランド』のさいごの、2023年のバーセル・アドラーによる撮影場面では、そんなイスラエル人入植者がパレスチナの人を近距離から銃で撃つシーンが写されており、「我々には、彼らを裁きにかける責任がある」などという言葉がまったく反故にされていることがわかる。

 作品ではパレスチナ人の住居ばかりではなく学校も破壊されるさまも写され、なんと住民らの水源である井戸にコンクリートを流し入れるという行為、水道管、電線をもイスラエル兵が切断するさまも写されている。
 わたしなどは今のイスラエルというと、「ガザ地区」の空爆などの惨状をまっ先に思い浮かべるが、「ガザ地区」だけでなく、パレスチナ人の居住区域である「マサーフェル・ヤッタ」でも、じわじわとイスラエルによる暴虐が行われていることも知るべきだ。

 そして、この作品が単に「マサーフェル・ヤッタで起こっていること」を撮影した記録・告発映画にとどまらないのは、ここにパレスチナ人のパーセルアドラーと、イスラエル人のユバル・アブラハームとが出会い共に過ごし、そんな二人の対話が撮られていることだろう。そういう意味で、この作品自体がひとつの「レジスタンス行為」の形象化であって、「立場の異なる」というより、本来敵対する二人(四人)が共同で、このドキュメンタリーを製作したということが、「未来への希望」ではあるだろう。
 バーセルとユバルとの対話の中で、「水1滴ではダメでもしずくが続けば変わる」ということばがあったが、そのことばが信じられる世界になることを願うのだ。

 しかし先日、この作品の監督の一人、パレスチナ人のハムダーン・バラ―ル氏が、西岸地区の自宅でイスラエル人入植者に襲撃され暴行を受け、一時拉致されるという事態が起きたのだった。
 彼が無事に生還したのは何よりだが、この作品で描かれたことに引き継いで行われた「イスラエル人入植者の暴虐」は、あまりに非道である。彼らは「軍人」ではなく一般人ではあるし(「軍人」であれば許されるということではないが)、イスラエルが国として彼らを裁かないことは、この作品で描かれていることからも「異常」なのである。もうイスラエルという国のなかでは、ネタニヤフの政策をみても、「パレスチナ人の排斥」というのは当たり前のことになっているわけだろう。
 また、アメリカ国内での「イスラエルへの抗議活動」が、トランプ政権によって圧力をかけられているという現実もある。トランプはこの作品を上映禁止にすることもあり得るな、などとも考えてしまうのだった。