朝、わたしがリヴィングでパソコンに向かっているとニェネントくんがやってきて、わたしの近くにあるニェネントくんのトイレを覗きこんでいた。トイレ使うのかなと見ていると、トイレには入らずに、そばにいたわたしの顔をじっと見つめるのだった。それはまるで「トイレ汚いんだけど? あんた、ちゃんと掃除してるの?」とわたしに言っているみたいだった。
「いやいや、ちゃんと掃除してますよ。ほうら、きれいじゃないの?」と思ったけれども、言われてみればちょびっと汚れていたかな。失礼いたしました~。
ニェネントくんのトイレは2つ用意してあるので、ニェネントくんはもう片方のトイレに行ってしまった。
今日は午前中に北のスーパーへ買い物に行き、いつものニェネントくんのネコ缶、そしてキッチンタオルペーパーなんかを買った。
ウチはもうながいことティッシュは買わず、ずっと代わりにキッチンタオルを使っている。これはニェネントくんがゲロったりしたときの掃除に役に立つし、特にニェネントくんの朝ごはんのあとに一気食いしすぎて吐いてしまうときなど、ニェネントくんがからだを痙攣させて「おっ、もどしちゃうんだな」というとき、とっさにキッチンタオルをちぎってニェネントくんの口の下に拡げてやると、うまく間に合えば床を汚さずにキッチンタオルで受けることができるのだ。まあ間に合うのは3回に1回ぐらいのものだけれども。
夕方になって日暮れどきにも、西のコンビニへちょっと買い物に出かけた。ちょうどほんとうに陽が沈もうとする時間で、西の空はオレンジ色に染まっていた。コンビニのちょっと先まで行くとそこから西側の土地は低くなっていて、見晴らしがよくなるので、日没の情景でも見ましょうかと少し歩いてみた。
‥‥やあ、このあたりからでもギリギリ、富士山のてっぺんが見られるのだな。てっぺんがちょっぴり見えるだけだから「富士山」とは気がつきにくいけれども、方角からしてもこれは富士山だろうと思う。
太陽はそこから左の方に沈んでいくところだけれども、時期が合えば富士山のてっぺんに陽が沈むという情景も見られそうだ。
わたしも少し左の方に行ってみて、ちょうど建て物のあいだに沈んで行こうとする太陽を撮影できた。
この日はテレビを見ていると3時ごろに、中山美穂さんが亡くなられたという速報が入っておどろいて、いっしゅん「何かのまちがいじゃないのか」と思ってしまった。
わたしは正直、そこまでに中山美穂さんのファンというわけではないけれども、近年の彼女は「成熟したゴージャスな美女」であられることよなあ、などとは思っていた。いい成熟のしかたをされた方、という感想だったのだが、まだ54歳。早逝も過ぎるだろう。
それでネットをみていたら、中山美穂さんは前日に「Instagram」に投稿していて、それは彼女が森美術館で開催中の「ルイーズ・ブルジョワ展」を観に行っての彼女の撮った作品写真といっしょに「写真下手だけど、上手くてもなんにも表現できない」「2、3日心がえぐられた」と書かれていたという。
これはホントに偶然なんだけれども、実はわたしは昨日、その中山さんの投稿を見ていたのだ。わたしはその投稿が中山美穂さんによる投稿だとは気づかなかったのだけれども、「写真下手だけど」と書かれていたのは記憶しているし、間違いないと思う。
わたしは今「ルイーズ・ブルジョワ展」が開催されていることは知っていたけれども、その内容についてはまるで知らないでいた。
それが彼女の投稿のおかげで、その展覧会のタイトルが「地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」ということを知り、それは展示されている刺繍作品に綴られた「I have been to hell and back. And let me tell you, it was wonderful」というのから来ているのだとも知った。
昨日の段階でその中山美穂さんの投稿を見たわたしは「そういう展覧会だったのか」と知り、俄然観に行きたくなってしまったのだった。森美術館の公式サイトをみて会期(1月19日まで)を知り、今は遠方への外出はできるだけ避けたいとの気分だったわけだけれども、森美術館のある「六本木」ならば、ウチから乗り換えなしに1本で行けるわけだから、何とか行ってみようと考えることになったのだった。
妙に「意識過剰」なことを書くように思われるかもしれないけれども、わたしの意識としては、この「ルイーズ・ブルジョワ展」のことは、この日亡くなられた中山美穂さんに教えていただいたような気もちでいる。そして、「観に行きなさい!」と、背中を押されたようにも思う。
‥‥何としても観に行きたい。