ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『演劇2』(2012) 想田和弘:製作・撮影・編集・監督

演劇2

演劇2

  • 平田 オリザ
Amazon

 先日観た『演劇1』につづいて、平田オリザの活動を捉えた作品。取材時期もほぼ同じ時期だったということで、時間的な差異で『演劇1』とこの『演劇2』とが分けられているわけではないようだ。言ってみれば『演劇1』では「平田オリザ氏の考える『演劇』とは?」とか、「平田オリザ氏と青年団」を捉えた(「観察」した)作品だったようにも思えるのだけれども、この『演劇2』は、平たく言ってしまえば「『演劇』と『社会』」とか「平田オリザ氏と『社会』」みたいなものが捉えられた作品だったかな?という感想は浮かぶ。

 ちょうどこれを書いている今、МLBの大谷翔平氏の「МVP」受賞が決まり、テレビとか大騒ぎをしているのだけれども、もちろん大谷翔平氏は今はМLBのプロのベースボール・プレイヤーとして活動され、彼の1時間の収入がわたしの年収ぐらい、あるいはそれ以上の稼ぎがあるわけだけれども、そんなプロのプレイヤーの下にはアマチュアとして収入なし、あるいはほとんどなしに野球をプレイされている多くの方々がいて、そんな人たちを最底辺としたピラミッドの頂点に大谷氏が君臨しているわけだ。
 これを「演劇」で考えると、わたしは頂点に何がいてこますのかよく知らないけれども、アバウトに考えて日本では「劇団四季」あたりがトップあたりに君臨していて、「なんとか歌劇団」とかがつづくのだろうか。あと老舗の「劇団民芸」や「テアトル・エコー」とかがあって、人気があるのは「大人計画」や「NODA MAP」などかしらん。平田オリザ氏の「青年団」は有名だとは思うけれども、やはり「知る人ぞ知る」的なところはあるんじゃないかと思う。そんな劇団組織を運営して行くとはどういうことか?っつうあたりがこの『演劇2』で描かれてるのかな、という思いはある。

 たんじゅんに言えば、純粋に劇団が公演を立ち上げて、その観客収入とか副次的な収入で劇団を維持して行くことはできないわけで、それでもそんな劇団が継続して活動して行くことが国や自治体の文化政策にかなうならば、「助成金」というかたちで劇団をサポートし、ある意味でその「助成金」なくして劇団の運営は成り立たないと言ってもいいと思う。「そんな助成金にいつまでも頼らずに『劇団四季』を目指すべきだろう」という考え方もあるだろうけれども、メジャーな組織が表現として優れたものを提出できるかというと、そういうわけでもないわけで、「マイナーなればこそ」の優れた表現があるわけだと思う。国や自治体はそんな文化的に優れていると思われる団体を援助することで、国や自治体のイメージを上昇させる。それが「文化国家」とか言えるわけだと思う。
 そうでないと、例えば過去に大阪で橋下徹が府知事をやっていたとき、「文楽など金を生まないからいらない」と、文楽協会への助成金をカットするということが起きて大きな問題にもなったわけだ。今でも「X(Twitter)」を見ると平田オリザ氏のことを「公金チューチュー」などと書いている連中に出会うことになる。
 それでは、「文楽」や「小劇場演劇」は金を生まないからなくなってもいい、などと考えられるだろうか? どんな国でも、それ自体では自立できない表現団体を助成しようとしているわけだ(そういうことをしていない国は「専制国家」、「文化的に貧しい国」とか言ってしまいたくなる)。

 なんだか、長々と作品からは外れたことを書いてしまったけれども、以上に書いたポイントはまず、この『演劇2』という作品から汲み取るべきなのだろう。じっさい、以上のようなポイントは作品の途中で平田オリザ氏が語っていたと思う。
 ただ、この作品を観るわたしの側にそういう思い入れが強いせいで(わたしもかつては「演劇」ではないが、パフォーマンスや音楽、そして美術を含むインディペンデントなイヴェントをやっていた時代があったのだよ)、平常心ではこの作品を観られないところがあっただろうか。

 この作品が撮られた時代は「民主党」が政権を取ろうとしていた時代でもあり、作品の冒頭でも平田オリザ氏が民主党の人たちと会合を持つ場面があったりする。一種のロビー活動というか、「青年団」の存在をアピールするというか。
 しばらくあとには、鳥取県の廃校になった小学校などでで開催される「鳥の演劇祭」というイヴェントに、「青年団」として参加し、平田オリザ氏は鳥取市長(それとも鳥取県知事だったか?)と話をするシーンがある。このときに「第一回」だったこの「鳥の演劇祭」はその後もしっかり継続され、ワークショップなどを含めた規模の大きな演劇祭として、今年も「第17回」が開催されたみたいだ。途中の「コロナ過」を越えて、これはとっても素晴らしいことだと思う。

 っつうことで、「情報」ばっかり書いて、この作品の感想がちっとも書けてないのだけれども、実はわたしは正直言って、この作品はこれまで観た想田和弘監督の「観察映画」としては、ちょっと違うんじゃないか、という思いが強いのだ。
 それは、ナレーションとかはないとはいえ、この作品は普通に「ドキュメンタリー映画」として了解できてしまう気がするのだ。つまりわたしが「情報」のことばかり書いたように、この作品には今までの想田和弘監督の作品(観察映画)にあった、「被写体それ自体」を観察して得るよりも、映像から読み取れる「情報」から得られるものの方が大きいように思えてしまうのだ。先に観た『演劇1』とはずいぶん違ったな、というのがわたしの感想ではある。

 そうだ、世間に疎いわたしはまるで知らなかったのだけれどっも、この作品にもひんぱんに登場する「青年団」の本拠地の「こまばアゴラ劇場」は、今年の5月で閉館されてしまったらしいのだ。今は青年団の本拠は兵庫県豊岡市の「江原河畔劇場」というところなのだ。わたしも訪れたことのある「こまばアゴラ劇場」がなくなったのは、残念なことだ。