天気予報で言われていたように、この日はけっこう気温の低い日になったみたいだ。わたしは夕方に買い物で外に出ただけだったが、そこまでに「寒いなあ」とは感じなかった。というか、夕方に北のスーパーへの買い物で外に出たときに、思いがけずに空は快晴だったことに驚いてしまった。
雲がまるでない空だから、夕焼けの時間とはいっても空があかね色に染まっているばかり。でも遠くには山の影も見えるようで、これは駅の跨線橋の方へ行けば富士山も見えることだろうと思った。こういう見晴らしのいいクリアな空は、まさに「冬空」だと思う。
この写真はウチの近くの歩道橋の上から撮ったのだけれども、その歩道橋の上で四方を見まわしていたとき、北の方から一羽の鳥が飛んで来たのが見えた。ゆったりとした羽ばたきを見せて飛んでいて、遠いので何の鳥かはわからなかったけれども、わたしはそれは「アオサギ」ではないかと思った。
いちおう写真を撮ったけれども、これではただの「黒い点」でしかない。見ているとその鳥はだんだんに降下して行って、ウチのあたりの住宅地の屋根に降りて行ったみたいだった。その降り方を見ていると、やはり「アオサギ」だろうな、とは思った。
歩道橋を過ぎてしばらく歩いていると、また向こうから鳥が飛んで来た。こんどはわたしの頭の上5~6メートルのところを飛んで来て、はっきりと「アオサギ」だとわかった。わたしのすぐ上を優雅に羽ばたいて飛ぶアオサギは、美しくもカッコよかった。
写真が撮れていればみごとな写真だったことと思うけれども、もちろんカメラを出す余裕なんてなかった。
しかしこの夕方のひととき、アオサギが飛び交う時間帯なのだろうか、などとは思うのだった。
今日は買い物に出る前に大相撲中継を見ていた。玉正鳳は「負けちゃったかあ」と思って見ていたのだけれども「もの言い」がついた。相手力士の手が玉正鳳の髷(まげ)にかかって引いていて「反則」となり、玉正鳳の勝ちとなった。これで「7勝3敗」で、勝ち越しまであと一番。ただ勝ち越せば来場所新入幕という番付ではないけれども、あと5日間で3勝出来れば、幕内昇進はまず間違いないだろうなあ。
そうしたらついに、あのティンガティンガの化粧まわしが毎日テレビで映されることにもなり、ティンガティンガと合わせてもっと人気が上がることだろう。
そう、この日の幕内の解説には、引退した碧山関がつかれていたのではあった。
今年のノーベル経済学賞を受賞した、ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソンの著作『国家はなぜ衰退するのか』を読みたいのだけれども、ノーベル賞受賞から一ヶ月以上過ぎた今になっても、重版が出来ていないようで、Amazonなどではいつまでも定価より高い「マーケットプレイス商品」だけが売られている状態。
いったいなぜ、ただ重版を刷るのにそんなに時間がかかるのかわからない。いささか当惑してもいるわけだけれども、ウチの市の図書館では貸出し順番待ちで22人の方が待っているのだ。そりゃあ順番が回ってくるのに1年かかってしまうな。ま、この書物も、トランプ氏が次期アメリカ大統領になると決定し、いささか古い内容になってしまっている可能性もあるけれども。
それで、著者の一人のダロン・アセモグル氏が先月、ノーベル賞授賞を受けてのオンライン記者会見を開いていて、その内容のことを今日は書きたかったのだ。
彼は「先進国で民主主義への支持は過去最低になっている。多くの人が、独裁政権の支配を容認したり支持したりするようになっている」と危機感を表明。背景には「全ての人々の声を守り繁栄させる」との約束を、民主主義が果たしていないことへの不満があると指摘したというのだが、このことは賛同する人も多いだろうと思う。
そしてアセモグル氏は「分断をあおったり特定の人物を悪者扱いしたりする態度や、SNSの貧困化したコミュニケーション空間を『現代の最悪の罪』と批判した」という。
ここでアセモグル氏が言うことこそ、現在の日本で現実に起こっていることなのではないだろうか。まさに、「社会の分断をあおるSNS空間」こそが「罪」なのではないのか。ひとつにまず、このことがなんとかならないものだろうか。
それで昨日とちゅうまで書いたことのつづきだけれども、たとえトランプ氏が大統領選挙で勝利したからといって、そのことが「トランプ氏が正しい」ということを意味しないということ。選挙で勝ったということはただ、「これから4年間、アメリカ大統領としてトライする権利を得た」というだけのこと。彼がハリス氏より人間的に優れているなどということではないし、彼が大統領としての職務をどれだけ遂行できるのかということなど、選挙に勝っただけではわかりっこないのだ。
同じように、日本での兵庫県知事選挙でも、斎藤氏が勝ったことが斎藤氏が正しい、斎藤氏はパワハラなどやっていなかったということを意味するのではなく、単に「斎藤氏がこれから4年間兵庫県の知事になる」というだけのこと。
たしかに、県議会で「不信任決議可決」されて知事職を失職した人間が「出直し選挙」でトップ当選してしまうというのは「意外」ではあるけれども、ここで「SNS」というものが大きなはたらきをしたようである。
わたしは今回の選挙でどのようなことがSNSで訴えられていたかは知らないけれども、まさに「社会の分断をあおるような行為」、「社会の分断を助長させようとした人物」はあったようだ。
もうひとつ、今回の件が「リベラル」の衰退を意味するとの声もあるようだけれども、このことはまた別に考えたい。