岡山にある外来専門の精神科クリニック「こらーる岡山」(院長:山本昌知)を中心に、そこに通う患者さん、そして医者とスタッフ、ボランティアの人々らを「観察」した、想田和弘監督の「観察映画」第2作。心を病んだ方々が多く出てくるが、モザイクはかけられず患者さんの素顔が写っている。
もちろんこの作品に出てくる方々は皆、自分が写されて公開されることを承諾した人たちなのだけれども、監督が声をかけても10人に8~9人はすぐに断ってきたという。
想田監督は東京大学在学中に「東京大学新聞」編集長を務められたというが、その激務とプレッシャーとで「燃え尽き症候群」を患い、そのときの体験がこの『精神』を撮る原点になったのだという。
舞台となる「こらーる岡山」はクリニックらしくはない古い一軒家で、待合室は居間のような部屋で、待つ人たちはそこでゴロリと横になったり、好き好きなかっこうで順番を待っている(喫煙OK)。
作品は院長の山本先生と患者さんとの問診のシーン、カメラを向けられた患者さんの独白のシーンが多いが(監督の想田氏が人々にみじかい質問をする場面もある)、クリニックのスタッフの人たちやボランティアの人たちの、普段の活動の様子なども撮られているし、外に出て患者さんの自宅を訪ねる「訪問介護」の様子も撮られている。
先にトータルに観た印象を書けば「精神を病んだ人たちとはどのような人たちか、そんな人たちに向き合うとはどのようなことか。そしてそんな世界を取り巻く社会とは?」ということに取り組んだ作品という印象。
想田監督は「被写体にモザイクをかけると、偏見やタブーをかえって助長する」から患者さんの素顔を撮ったということ。また、被写体の方から「なぜ撮るのか」と聞かれ、「健常者と患者(障害者)とのあいだにある<カーテン>を取り除きたいから」と答えるシーンがある。
被写体となる患者さんには「自殺未遂」を繰り返す人もいるし、「自分の頭のなかにはインヴェーダーがいて、自分が5分後には何をするかわからないところがある」と語る人もいる。「自分の中で何かが風船のようにだんだんと膨らんでいたのが、人に『足が太いね』と言われたことでその風船が破裂してしまった」という人がいる。この人は今はクリニックのスタッフ手伝いをしている。
ある女性(30代中頃ぐらい?)の話。
家にいて夜になると「出て行け」「ここにいるな」という声がずっと聴こえてきて、家で寝られなくなって2日つづけて公園で野宿をした。その声はずっとむかしに別れて会わなくなった父親の声に思える。もう父親の顔は思い出せないが、声だけは憶えている。
若い頃、ワープロを習って資格を取ろうとしたのだが、そのことが母親に知られて家に閉じ込められ、辞めさせられた。
その後結婚して子供も産まれたのだけれども、1歳で死んでしまった。
(想田監督が「なぜ死んだのですか?」と聞くと)
わたしが殺した。
夫は夜勤だったが、夫がいない夜中になるとその子は泣きつづけ、どうしても泣きやまなかった。自分は子供を育てたことがなくわからないことばかりだったが、再婚だった夫は「前の妻はちゃんと子育てした」というばかりで、母親も教えてくれなかった。その子の「一年検診」で診てもらうと、体重が増えていなくって逆に減っていた。そこでもわたしは「育て方」を教えてほしかったのに、ただ「育て方が悪い」と言われただけで絶望した。
そのあとまた夜中に子供が泣きやまないので、子どもの口をタオルでふさいだら動かなくなった。人工呼吸をしたけどダメだった。
救急車を呼んだらいっしょにパトカーも来てしまって、わたしは手錠をまわされて逮捕されてしまったのだった。
そのあと次の子が産まれたけれども、今でも「この子にはお兄さんがいたのだ」と考える。生きていれば今中学2年になるか。夢に大きくなったその子が出てくる。
‥‥ちょっとショックな話だったが、その女性の話し方は理路整然として言葉の選び方も上手で、知性は高そうな印象を受けた。
でもなぜ彼女はそんなことをしてしまったのか、と考えると、彼女にだけ責任を負わせることはとてもできないと思う。もちろん彼女の言うことだけで判断してはいけないだろうけれども、「なぜそんな悲劇が起きてしまったのか」。
今の彼女を悩ませる、夜の「出て行け」という声にしても、その悲しい事件が原因ではないかと思えてしまう。
よくニュースでこのことに酷似した「母親による乳児殺し」という事件は報じられ、「育児疲れ」と解説されるにしても、その「育児疲れ」というものの実態の一例を知った思いで、「彼女ひとりが悪いのではない」というケースも考えるべきなのだ。
彼女が「統合失調症」なのか「うつ病」なのかとか不明だけれども、話を聞いた感じでは「追いやられての発病」ではないのか、という思いを抱く。
彼女のことを考えたのは、この作品から導かれたいろいろな思考のひとつではあるが、そういうところで、わたしは想田監督の言う「カーテン」を(ほんの少しでも)めくることができたのだろうか、とは考えるのだった。