ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『五香宮の猫』(2024) 柏木規与子:製作 想田和弘:製作・撮影・編集・監督

  

 今は想田監督も住む岡山県瀬戸内市牛窓(うしまど)の町。その瀬戸内海の南には小豆島があるという位置。ちょっとした観光地でもあるのだが、その町の海岸通りからすぐの石段を登ったところに「五香宮(ごこうぐう)」という、小さな神社がある。その境内はたくさんの猫たちが集う場所になっていて、わざわざよそからそんな猫に会いにやってくる人たちもいる。
 想田和弘監督のカメラはそんな猫たちの姿を追うけれど、猫たちを撮ることは「五香宮」にやってくる人々のことを撮ることにもなる。猫好きにはたまらないスポットだろうが、牛窓の人たちの思いは複雑だ。猫を目当てに来る人を見込んで観光資源にならないかと考える人もいるし、猫たちの糞尿の被害に眉をひそめる住民もいる。猫たちを撮ることは、自然に「猫たちと人間たち」の関係を捉えることになる。
 神社にやって来る人々はさまざまだ。参拝に来る人たち、境内の草花の手入れをする人たち、境内で遊ぶ子供たち、そして猫たちにエサを与えて世話をする人たち。そして神社の宮司さん。

 今は飼い主のいない猫たちは「地域猫」と呼ばれ、保護しようとする人たちは「TNR」活動によって、その数は増えなくなっている。「TNR」とは、「T=トラップ(捕獲)、N=ニューター(不妊手術)、R=リターン(元の場所に戻す)」の略だが、元の場所に戻したあともエサやりをしたり、猫の活動をチェックしつづけることになる。これはどこでも行われていること。不妊手術を受けた猫は、耳をV字型にカットされ、「さくら猫」と呼ばれる。この映画でも、保護活動をされる方々が、「五香宮」の境内でまだ不妊手術を受けていない猫たちを手術を受けさせるために捕らえるシーンがある。なんと10匹もの猫が捕らえられたのだった(前の年には16匹だったそうだ)。

 わたしもいつも、自宅駅近くで地域猫たちに出会えるスポットがあり、そんな地域猫に出会うことを楽しみにして歩いているけれども、猫好きとして「いつまでも猫たちがいてくれるといいな」と思っても、問題はそんなに簡単ではないのである。じっさい、2~3年前にはトータル10匹近くも猫たちがいて、わたしが勝手に「野良ネコ通り」と名付けていた通りは、今はもう1匹の猫を見かけることもなくなった(たま~に1匹だけの姿を見かけることはあるが)。

 住民たちのコミュニティの会合のさま、その話し合われる内容もとても興味深かったし、「てんころ庵」という寄合所でおばさんたちが実に楽しく談笑していたさまがとっても良かった。戦争の記憶もある年配の方も多く出て来られたけれども、この高齢化社会、皆さんとても元気そうなのも印象に残った。そんなことをあらためて考え直したり、牛窓に住む人たちに教えられたり、特別な映画体験だった。

 終盤に町に来られたカメラマンの方が想田氏に、「あまりこの場所がわかってしまうと良くない」というようなことをおっしゃられ、それは「ここに猫を捨てればいい」と思う人も出てくるから、というような理由だった。「保護活動」が行われていることがわかると、それをアテにして非常識な人も出てくるか。じっさい、この作品のラストには、おそらくは捨てられたのであろう3匹の新参の子猫が境内にあらわれたのだった(パンフを読むと、この3匹は「引き取り手」が決まったらしいが)。

 以前観たドキュメンタリー「猫が教えてくれたこと」はトルコのイスタンブールでいかに人と猫が「共生」しているかを捉えていて、その映画を観た限りでは「なんか理想的だなあ」とか思ったんだけれども、アレだってその背後ではいろんな葛藤があることなんだろう。そういうことも、この『五香宮の猫』を観たあとではしっかり想像できるのだった。

 「猫の動画」といえば岩合光昭氏の「世界ネコ歩き」が有名だけれども、あの世界は一種の「ファンタジー」として撮られているわけだ(あれはあれで好きだけれども)。でも、この『五香宮の猫』には、リアルな猫たち、リアルな人たちの姿があった。