ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『カフェ・パニック』ロラン・トポル(ローラン・トポール):著 小林茂:翻訳

 この文庫本での著者名の表記は「ロラン・トポル」なのだが、一般にこれ以外のところでは彼は「ローラン・トポール」として知られている。一般に彼はロマン・ポランスキーが監督・主演した『テナント/恐怖を借りた男』の原作者、そしてルネ・ラルーとの共作『ファンタスティック・プラネット』の脚本、原画の作者として知られている。
 あとの彼の経歴というのがどうもよくわからないのだけれども、彼はポーランドユダヤ人で1938年の生まれ。父親のアブラムは画家だったと書いてあるところもあるが、英語版Wikipediaによると、この父親は1941年に何千人ものユダヤ人と共にピティヴィエの収容所に収容されたという。たいていの収容者はほとんどがアウシュビッツに送られて亡くなるのだけれども、アブラムはピティヴィエから脱走し、パリの南部に隠れていたという。
 父親が隠れているあいだ、トポールの家族が住んでいた家の家主は家族に父親の居所を明かすよう脅迫し、家族はサヴォアへと逃亡し、トポールはそこで成長したという。

 さいしょ、トポールはイラストレイターとして活動するようになったらしいが、1962年にはアレハンドロ・ホドロフスキー、フェルディナンド・アラバールとともに「パニック運動」というのを結成したらしい。このあたりも、どんな運動だったのかよくわかんない。トポールはシュルレアリスム運動にも興味はあったらしいが、アンドレ・ブルトンポール・エリュアールのことは嫌いで、シュルレアリスムでも傍系の作家が好きだったらしい。これは今回、この『カフェ・パニック』を読むとよくわかる気がする。
 それでこの本のタイトルの『カフェ・パニック』が、トポール自身がホドロフスキーやアラバールらと創始した「パニック運動」というものとどれだけ関係があるのか、ということも気になるのだけれども、ではまずはその「パニック運動」とはどのようなものだったのか? これが調べてもよくわからないのだが、ようやくたどり着いた記述によると、「ルイス・ブニュエルとアントナン・アルトーの残酷演劇の影響を受け、シュルレアリスムが主流になりつつあることへの反応として、 混沌としたシュールなパフォーマンスアートに専念した」ということで、ホドロフスキーもアラバールも映画作家ではあるが、その作品は「不条理で暴力的、破壊的」なものであり、先に書いたようにアンドレ・ブルトンらの主流派シュルレアリスムへの反撥というのはあるようだ。1965年には「パニック運動」として、4時間に及ぶけっこうグロテスクなパフォーマンスを上演したらしいけれども、そのパフォーマンスにトポールがどのように関わっていたのか、まるでわからない。

 って、「わからない」ことだらけだが、それこそが「ローラン・トポール」であるというか、「世界の不条理、ナンセンス」について、その中に深く飛び込んだ表現をするのではなく、それらに距離を置いた「観察者」的な表現者、なのではないかと思う。
 その「観察者」という視点がこの『カフェ・パニック』という本で、「飲み屋でこ~んな話を聞いたんだ」という「不条理・ナンセンス」話集として結実しているように思う。

 この本の中のさまざまな「とんでもない」逸話には、もちろんトポールの創作話が多いのだろうが、中にはじっさいに行きつけの飲み屋で耳にはさんだ話も含まれているらしい。そんなところで、「そ~んなバカな」という話といっしょに「そういうこと、あるかもしれないよな」と思わせられる話も混じっているわけで、それが単に「ほら話」ではない、この本の魅力になっているのではないかと思うのだった。