早朝目覚めると、最近のいつものようにわたしの前のキャットタワーの上にニェネントくんがはべっていて、わたしのことを見下ろしているのだった。
しばらくわたしも目を開けてニェネントくんのことを見ていると、キャットタワーから降りてわたしの寝ているベッドの上に跳び乗ってきた。そのままベッドの上にいてくれるかと思ったがすぐにベッドの下の降りていってしまったけれども、気候も涼しくなったのでついに、またニェネントくんがわたしの寝ているベッドの上にやってくる季節になったな、という感じだ。
今朝も起き抜けは咳が激しく、咳をすると左わき腹に痛みが走り、けっこうつらい。それでも時間が経って咳が治まってみると、もうのど自体の痛みというものも気にならなくなっていて、この起き抜けの「咳」さえ治まれば、病院へ行かなくってもいいんじゃないかという気はする。
今日も午前中に映画を観に行きたかったのだけれども、やはり出かけなくってはならない時間までは体調もよろしくなく、この日も映画には行かないのだった。明日には何とか映画を観に行きたいけれども、明日は国分寺のクリニックの通院日でもある。ただやはり国分寺まで出かけるのはキツイなあという気分もあり、明日の予約はキャンセルしたいという気もちはある(それで映画を観に行くというのもアレだが)。
午後から、その国分寺のクリニックに「明日の予約はキャンセルしたい」と電話したのだが、今日は水曜日でクリニックは休診なのだった。明日電話するしかないか。
もう今は朝ドラ『おむすび』もどうでもいいのだけれども、いちおう今朝も見てみると冒頭から麻生久美子の母が北村有起哉の父に「今、『おまえ』って言った?」とキレて夫婦げんかの空気になり、そこでまさに『翔んで埼玉』で麻生久美子が「今、『チバラギ』って言った?」とキレて大ゲンカになだれ込む「名場面」を思い出し、この番組で初めて声を出して笑ったのだった(今日の脚本は明らかに、『翔んで埼玉』へのパスティーシュ、ではあった)。
しかしドラマの方はいつまでもヒロインとギャルたちのやり取りがつづいて、「グループに入る、入らない」とぐだぐだとやっていてどうしようもない。そういう脚本はつまらないし、演出・撮影もよろしくはないのだ。
ニュースで、先日の「袴田事件」での再審無罪の判決を受けて検察当局は控訴を断念し、袴田さんの無罪がようやっと、ようやく確定したのだった。しかし畝本直美という検事総長は「談話」を出し、「(静岡地裁が)捜査機関のねつ造を断じたことは強い不満を抱かざるを得ない」などとのたまって、つまりは「捜査機関のねつ造」などということはないのだ、という見解を述べたのだ。つまり、暗に「捜査機関のねつ造はないのだから、袴田さんが真犯人なのだ」と言っているに等しいのだ。
こ~んなふざけた「談話」を出すなんて、どんだけ検察局は腐ってるのだと思う。この検事総長談話は、袴田さんを長期間にわたって法的地位が不安定な状況に置いたことを謝罪しているが、そもそもの長期化の理由を作ったのは検察なのである。これでは検察局は先日無罪判決を出した静岡地裁の判決を「間違っている」といっているに等しい。袴田さんの衣類の血痕が「ねつ造」とされたわけだから、単に「それはおかしい」というのではなく、はっきりとした証拠を出して「ねつ造ではない」とすればいいではないか。そういう証拠を出せないから先日の静岡地裁の判決になったわけでもあり、検察局は判決を受けて「猛省」すべきなのだ。静岡県警にはまさにそういう「証拠のねつ造」を長年にわたって行った紅林麻雄という「拷問王」とも呼ばれた刑事がいたのは「事実」なのである。
今回の袴田さんの「冤罪」への動きという背後にも、当時静岡県警にあった「証拠ねつ造」の影響があったと考えるのは「常識」なのである。そして、今なお畝本直美のような検事総長が存在するということの中に、検察庁の中で「袴田事件」がいまだ歪んで認識されていることの証拠なのだと思う。
それで亡くなった方もいる「モリカケ問題」のことなどまるで放置しているのが、今の検察庁なのである。怒りたくもなるというものだ。
夜は読んでいたローラン・トポールの『カフェ・パニック』を読み終えて、次は安部公房の『箱男』を読み始めた。『箱男』の映画はこの土曜日からとなり駅の映画館での上映が始まるので、早く読み終えて、読み終えた上で映画を観たいものだと思っている。