ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2024-09-09(Mon)

 昨日は夕方から、埼玉県を中心に関東を雷雨が襲ったというニュースがあった。特に栃木県の真岡市では音楽イヴェントを開催していた公園で落雷があり、複数のスタッフが搬送されたという。
 このときイヴェント会場には一万人を超える観客が集まっていたらしいけれども、一時に空が真っ暗になって大雨になり、雷が鳴り始めたという。主催者側から「落雷のおそれがあるので木や構造物に近づかないようにし、低い姿勢を保ってください」とアナウンスがあり、そのすぐ後に稲光であたりは真っ白に明るくなり、同時に大音量の雷が鳴ったらしい。
 どうやら会場の公園内の樹木に落雷があったらしく、搬出されたのは観客ではなくスタッフばかりだったらしいけれども、主催者側の適切なアナウンスがなければ、もっと多くの人が被害を受けていたかもしれない。

 今日は午前中に北のスーパーへ買い物に行ったが、途中の歩道橋の上から北の方角の空を撮ってみた。もうほとんど真夏の「入道雲」という感じなのだけれども、その奥の方、つまりウチから見れば茨城とか埼玉の方角の空はそういう積乱雲に覆われている感じで、「ああいう雲が昨日の雷雨になったのかな」などと思うのだった。

     

 スーパーでの買い物の帰り、たまに立ち寄る個人経営の米屋さんの前を通ると、「新米入荷しました」との貼り紙が貼られていた。「さて、いくらぐらいの値段がついているのだろう」と店に寄ってみた。
 もともとがスーパーなどより多少は高い価格がついていた店だけれども、今日目にした「新米」の価格は、5キロで3300円というものだった。以前はこの店も5キロで2500円ぐらいだったというわたしの記憶なので、「やっぱり高くなってるなあ」とは思うのだった。
 報道でも、これから店頭に並ぶ新米は今までよりも高くなっているだろうということで、もう今までのように5キロ1700円とかのお米を買うことは出来なくなるのだろうな、などとはお思うのだった。けっきょく、体のいい「値上げ」なんじゃないか、などという感想になる。

 さて、わたしは先月8月の家計簿の決算、というか支出を計算してみた。
 6月から「禁酒」をして、その酒代分が支出から減る分、家計も楽になってないかと思ったのだが、どうも酒を飲まなくなった代わりに「菓子類」とかの支出が増え、トータルにみても酒をやめる前とあんまり支出に変わりはないのだった。もちろん新しいガスコンロも買ったし、「いつもにない」特別支出もあったわけだけれども、自分としてはもう少し、月ごとの支出というのは少なくなってもいいのではないか、とは思っている。

 報道をみていると、これからの自民党総裁選、立憲民主党代表選についてあれこれと言われているけれども、どうも今のところ、自民党総裁、つまり次期総理大臣は小泉進次郎になり、立憲民主党の代表は野田佳彦になるのではないかとの予測が多いように思う。‥‥それはヒドい。まあ「自民党総裁」はたいていの人物がなられても「ヒドい」と言わざるを得ないところがあるけれども、その中でも、小泉進次郎氏というのは「最悪」ではないかと思う。それにこの人のバックには、わたしの大ッ嫌いな、あの菅義偉がいるわけだ。立憲民主党の方も、わたしにはもちろん野田佳彦氏は「最悪中の最悪」である。彼がまた立憲民主党の代表になるのであれば、もう立憲民主党は「自由民主党立憲支部」みたいなものになってしまうだろう。今でもわたしの中では「もう立憲民主党のことは見限りたい」という声があるけれども、野田佳彦氏が代表になればもう希望はないだろう。
 あと、いいニュースで、能年玲奈(のん)さんが「伊丹十三賞」を受賞されたのだった。「伊丹十三賞」というのは普通の芸能賞ではないし、めでたいことだと思う。これを機会に、前に「観よう」と思っていた映画『さかなのこ』を観ようと思ったら、ちょっと前まで「Amazon Prime Video」で無料配信されていたはずなのに、もう配信は終わってしまっていたのだった。残念無念である。
 ただ、それで「Amazon Prime Video」のトップページを見ていたら、たしかに『さかなのこ』は観られなくなっているけれども、「代わりに」というか、前は観られなかったカウリスマキ監督のいくつかの作品が、今は無料配信で観られるようになっていた。「それでは」と、今日は『ラヴィ・ド・ボエーム』を観ることにした。あとカウリスマキ監督の作品では『ル・アーヴルの靴みがき』、『希望のかなた』を観たいのだけれど、この2本は今も配信されてはいないのだった。

 その映画を観る前に、テレビでちょっと「大相撲中継」を見ていたが、贔屓の玉正鳳関が、この日は会心の相撲で勝利、初日を出したのだった。解説も「玉正鳳は上手を取ると強い」と語っていて、「遅咲きだけれども、もっと上に行けるんじゃないでしょうか」などと語っていた。