わたしが菊地凛子という女優さんに注目するようになったのは実はけっこう最近になってからのことで、2年前の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で彼女が「伊賀の方」を演じているのを見たことから始まった。その『鎌倉殿の13人』の中で、夫の北条義時に密かに毒を盛っていたという設定の「伊賀の方」、劇中で義時に「俺に毒を盛っているのではないか」と問われて「あら、バレちゃってたのね」とか飄々と答えるのだけれども、その演技がわたしにはとても印象に残り、「なんか、凄い女優さんがいる」という感じなのだった。
それ以来、彼女の出演した作品を観る努力はしているのだけれども、今はもう、彼女の出演した映画でサブスク視聴できる作品もあんまりなくなってしまった。
この『658km、陽子の旅』は、当時彼女が上海国際映画祭で最優秀女優賞を獲ったという報道もあって、気にはしていたし、たしか去年にはとなり駅の映画館で上映されて、行くつもりでいたのだけれども、何かのせいで観に行けなかったのだった。それが今、ようやっと観ることが出来るようになった。
映画を観るまで、ただ「菊地凛子が主演」ということぐらいしか知らない映画なのだったけれど、監督は熊切和嘉なのだった。
わたしも記憶障害で古い記憶をなくしてしまって、過去には熊切和嘉監督の作品を追いかけたものだったことだけは思い出したが、それも十年前の『私の男』までのことだし、それ以降どんな作品を撮っているのか、まったく知ることはなかったし、『私の男』以前の作品にしても、その内容は記憶していないのであった。だからこの作品を観ても、「熊切和嘉監督ならではの演出」などということはわからないのだ。
さて、ということで映画を観てみたのだが、これは思いっきり、「658km」移動のロードムーヴィーなのだった。もちろん主役は「陽子」役の菊地凛子で、出ずっぱりである。
彼女は(おそらくは東京で)ひとりグダグダとした生活をしているのだけれども、そんなところに彼女の兄がやって来て、「青森の父が死んだ。明日の12時に出棺というから、これからいっしょに行こう」というわけで、急きょ兄の家族と共に兄の車で出発する。彼女はいろいろあって、もう20年父とは会っていなかったのだが。
これが、途中のサーヴィスエリアで兄の家族にトラブルがあり、陽子を置いたまま兄の家族は出発してしまう。残されてしまった陽子はケータイもなく、持ち合わせの現金も2432円しかないのだ。そこから陽子の、いろんな人と出会いながらのヒッチハイクの旅となる。
さいしょのうちは出会った人と会話を交わすこともない陽子だが、さまざまな人と会い、危険な目にも遭っていく中で、だんだんと変化を見せていくのだった。
この陽子が「だんだんと変化を見せていく」というのこそ、この映画のキモといえるポイントではあって、そこに菊地凛子の「超絶演技」というものが際立ち、この110分ほどの作品の、冒頭からしばらくの陽子と、終盤の陽子とがもう別人のような変化を見せ、それでもそれはしっかりと「陽子」ではあるわけで、映画的感動へと結びつくのだ。
熊切和嘉監督の演出は、「映画的技巧」ということを際立たせる風でもなく、ただ「ボソッ」と画面の中に「陽子」=「菊地凛子」を投げ出す、とでもいった風情なのだが、説明的な描写に頼ることなく、旅の途中のドライヴイン、サーヴィスエリアの描写と合わせて「陽子」という人物の内面の変化を見せていくのだった。
途中の、雪も降り始める北日本の風景の良さ、そしてその風景に合わせるようなギターの音がすばらしいと思ったのだったが、この映画の音楽はジム・オルークなのだった。なんか、記憶してないけれども、以前も熊切和嘉の映画にジム・オルークの音楽がついていたような記憶もある。
そういうわけで、なかなかに味わい深い映画だったというところなのだが、ただ、陽子が出会っていく人たちが、どこか弁証法的な変化を見せながら「陽子の変化」を促して行くようで、「そりゃあちょっと出来すぎではなかろうか」とは思ってしまうのであった。