ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ジャズ・ロフト』(2015) サラ・フィシュコ:監督

  

 原題は「The Jazz Loft According to W.Eugene Smith」。1957年から1965年までのあいだ、ユージン・スミスはニューヨークの6番街のロフトを自宅同然にしていたのだけれども、そのロフトには多くのジャズ・ミュージシャンが出入りしてセッションを繰り返していた。もちろん写真家であったユージン・スミスはそんなミュージシャンのスナップやセッションの写真を撮りまくるわけだけれども、「写真では音は伝わらない」と思ったのか、オープンリールのテープレコーダーを持ち込んで、そのロフトの中に何ヶ所もマイクをセットし、ロフトでのでのセッションのみならずミュージシャンの会話、電話の音、ラジオの音までありとあらゆる音を録音することになる。
 いったいどんなミュージシャンらが出入りしていたのか、この作品の冒頭にまず、まだ存命のミュージシャンらが姿を見せて短いトークをする。カーラ・ブレイスティーヴ・ライヒ、そしてズート・シムズ、リー・コーニッツなどというメンツ。声だけだがセロニアス・モンクも登場し、彼は後半のセッションの主役である(カーラ・ブレイスティーヴ・ライヒの音は残っていないようだし、時代もちょっと違うと思う。カーラ・ブレイはおそらくポール・ブレイといっしょだったのだろう)。このロフトにはサルバトール・ダリとかも訪れたりしたようで、一種50年代~60年代のサブカルチャーの牙城的なスポットとして、60年代以降のアンディ・ウォーホールの「ファクトリー」的なスポットだったのだろうか?

 まあこれだけ膨大な「音」が残っていて、ユージン・スミスの撮った写真が残っていれば、それらをつなぎ合わせてこういう「ドキュメンタリー」をつくろうというのはひとつの「摂理」みたいなものではあろうかと思うのだけれども、この監督はそのロフトでのセッションのドキュメントを組み立てながら、「この音を録って、写真を撮ったユージン・スミスという人のことを描かなくっちゃいけないだろう」とは思ったのだろう。
 しかしスミスの残した録音テープと写真の中にはユージン・スミス自身の姿は基本ないわけで、そういうこともあって、この監督は「ユージン・スミスを<主役>に持って来なければ」と思ったのだろう。それで途中から、「ライフ」誌のもとで従軍記者として活動したユージン・スミスのストーリーを語ることになる。彼は「太平洋戦争」に従軍し、サイパン硫黄島、沖縄での戦闘を記録するのだ。そんな中で重傷を負い、その傷は彼を一生苦しめもしたらしい。
 終戦後の療養とヨーロッパでの取材活動のあと、ユージン・スミスはこの「ジャズ・ロフト」へとやって来るわけだ。

 しかしここでユージン・スミスのストーリーは終わってしまい、ひとつこの作品のメインともいえる、セロニアス・モンクとのセッションのストーリーに移行するのだ。
 この終盤の語りの中心は、ロニー・フリーというわたしの知らないドラマーになるのだが、ここで思い返してみると、この「ジャズ・ロフト」に出入りしていたミュージシャンは、圧倒的に白人系のミュージシャンの数が多い。
 特にそのロフトの中に「レイシズム」がはびこっていたということはないようで、そのロフトのあった場所、その他の原因の中にアフリカ系の人を近づけない要素があったのだろうか。それで、この終盤のセロニアス・モンクのお出ましはロフトのミュージシャンにもショックだったようで、そのときモンクがビッグ・スターであったことがうかがえる。

 ただ、観ていると、せっかくの貴重な音源によるセッションの音をこそ聴きたくはなるのだが、そこに説明的なナレーションがかぶさっては来るし、膨大な長さの音源の使用も、やはりある程度「切り貼り」という感じになり、「じっくり聴く」ということが可能なわけでもないのだった。
 このあとユージン・スミス水俣へと誘われることになり、スミスのいなくなったあとに「ロフト」がどうなってしまったのかは、語られてはいない。

 人を惹きつける「音楽」の魔力、ユージン・スミスはそれを記録しようとしたのか。ヴィデオ・カメラがあったとすれば、やはりユージン・スミスもヴィデオを使ったことだろう。それはどんな映像になったことだろうか。