ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ZAPPA』(2020) アレックス・ウィンター:監督

 わたしは、フランク・ザッパの大ファンであった。とにかくわたしがフランク・ザッパに注目したのは日本でのデビュー・シングル「つらい浮世(Trouble Comin' Everyday)」がリリースされてラジオでオンエアされたのを聴いたときからで、そのあとリリースされたザッパとマザーズ・オブ・インベンションの2枚組デビュー・アルバム「フリーク・アウト!」(1966)から彼の死まで、ほとんどのアルバムは買っていたし、特に、輸入盤を含むさいしょの12、3枚のアルバムはほんとうに「すり切れるまで」聴いたものだった。ただ、後年あまりにも多くリリースされるアルバムに圧倒されもしたし、わたしの中では初期のアルバムに聴かれた「ジャンルを超越した音」というものが後期には希薄になり、「フュージョンなロック」もしくは「クラシカルな現代音楽」という音に落ち着いたように聴こえるようになりもして、そこまで熱心には聴かなくなってしまっていた。

 そんな、わたしの愛したフランク・ザッパをとらえたドキュメンタリー映画なのだ。
 当時の「そうか、そうだったのか」というような裏話もふんだんに盛り込まれ、「稀有なミュージシャン」であったザッパの活動履歴、音楽遍歴が2時間という枠の中でたっぷり紹介されていて、満足度は高い。
 その初期には「マザーズ・オブ・インベンション」を名乗り、のちにただの「マザーズ」となり、その後はただ「フランク・ザッパ」名義で、自分の音を実現するのに集めたミュージシャンは実に数が多く、彼のバンドを経て著名になったミュージシャンも大勢いる。そんな中でもわたしがうれしかったのは、初期マザーズ・オブ・インベンションのメンバーであったバンク・ガードナー、そしてやはりマザーズ・オブ・インベンション時代から長くザッパとかかわったルース・アンダーウッドへのインタビューが多かったこと。特にルース・アンダーウッドのインタビュー映像はたくさん使われ、ラストにはザッパとの感動的な逸話を語ってくれていた。

 実はザッパは14~5歳まで音楽にまったく興味がなく(その頃までは「火薬」に興味があったと!)、彼がさいしょに買ったレコードは、近所のレコード屋が「絶対売れない!」と語っていた、エドガー・ヴァレーズのレコードだったという。そのエドガー・ヴァレーズの音楽をとっかかりに、自分で譜面を書いて作曲を始めたというが、そりゃあやはり「天才」だろう、とは思う。ギターも完全に「独習」で、さいしょにギターを買ったとき、「フレット」の役割も理解していなかったというのだ。
 そんな、エドガー・ヴァレーズの音楽では、通常のクラシック音楽では隅に追いやられていたパーカッションが最前面にフィーチャーされていたわけで、その影響から作曲された最初期のマザーズの音楽が、ジュリアード音楽院でパーカッションを学んでいたルース・アンダーウッドに強く訴えかけ、彼女をマザーズに加入させることになったのだなあ。
 わたしなども、マザーズのレコードを聴いていつも、そのルース・アンダーウッドのマリンバとかに強くインスパイアされていたのだった。

 けっきょく、ザッパはそれまでのマザーズを1969年に解散させ、タートルズのヴォーカルだったハワード・カイランとマーク・ボルマンを加えて、もっと歌詞の物語性を重視したシアトリカルな音楽に移行するけれども、そのあとにザッパはイギリス公演で舞台に乱入した男に奈落に突き落とされて重傷を負い、しばらくステージ活動が出来なくなってしまい、ここから先はまたザッパの音楽性は変わってしまうのだった。
 80年代になるとザッパの社会的発言も増えて、アメリカの共和党政権批判、音楽への検閲の動きに抗議することが多くなる。
 そんな姿勢が海外にも伝わったのか、当時のチェコの「ヴェルヴェット・レヴォリューション」の動きの中でザッパはチェコに招聘され、チェコでのステージで彼のさいごのギター演巣を行うのだった(この頃にはもう、彼の疾病はあらわになっていたのだが)。この、チェコを訪れたザッパを空港で歓迎する人々の姿はめっこう感動的で、ザッパ自身も「こんなの今までで初めてだ」と語っていた。
 ザッパが公衆にさいごに姿を見せたのは、1992年のハンブルグでの「アンサンブル・モデルン」による「イエロー・シャーク」の演奏の指揮をとったときで、この映像にはさいごに「ラララ・ヒューマンステップス」の2人が舞台で踊る姿も見られた。

 振り返ってみて、わたしはやはりハワード・カイランとマーク・ボルマンの在籍した時期までのマザーズの音楽こそが大好きで、それは一面シリアスな音楽をユーモアを交えて聴かせてくれていた時代で、それはまさに「ビザール」と呼ぶにピッタリの音ではなかったかと思うのだ。
 それ以降のザッパの音楽は、「シリアスさ」こそが前面に出された感じもあって、それが一方でバンド形式で演奏される、ロックともジャズともつかない「フュージョン」(いわゆるフュージョン音楽とは異なるけれども)、一方でもっとクラシック寄りの、オーケストラやクロノス・クァルテットでのシリアスな路線とになって行ったように思う。
 もちろん、どちらもマジメに聴けば素晴らしいものではあるし、この作品でも終盤にルース・アンダーウッドがザッパの名曲「ブラック・ページ」をピアノ演奏する素晴らしいシーンがあるのだった。

 ザッパ自身インタビューで「友達はいない」と語っていたし、彼の音楽は「気心の知れた仲間といっしょに創り上げていく」というものではなく、あくまでも参加ミュージシャンは「彼の音楽を実現するための存在」だったのだ。彼自身も「いちばん興味あることは作曲することであり、その自分の書いた曲をじっさいに聴いてみるためにレコーディングを行っている」と語り、それを他の人が聴きたがればそれもいい、というスタンスだったようだ。まさに「孤高の存在」だったのか。

 初期マザーズ・オブ・インヴェンションのライヴ記録映像がたっぷり使われていたり、しっかりとフランク・ザッパの生涯を紹介してくれていて、とっても見ごたえのあるドキュメンタリーだった、とは思う。