ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『暗殺者の家』(1934) アルフレッド・ヒッチコック:監督

 原題は「The Man Who Knew Too Much」で、この作品はヒッチコック自身同じタイトルでリメイクしているが(リメイク版の邦題は『知りすぎていた男』)、ストーリーなど多少変えられているらしい。
 この映画には悪役でペーター・ローレが出演しているけれども、彼はこのときナチスの台頭でドイツからイギリスに逃れて来たユダヤ人で、映画の中のセリフにもあるように「英語が達者ではない」わけで、わたしなどが聞いても、この映画の中での彼の英語の発音は聞き取りにくい。

 この映画は国際的な暗殺組織の計画を知ってしまったイギリスの夫妻が、娘を組織に人質に取られながらもけっきょくは警察と協力して「暗殺計画」の遂行を防ぎ、組織は警察との銃撃戦で全滅するというストーリー。

 映画はスイスのサンモリッツでのスキーのジャンプ競技シーンから始まるのだけれども、そこに夫妻の娘の腕から犬が逃げ出し、ジャンプの着地コースに入ってしまうのを娘が追って、いっしょにコースに入ってしまう。そのときジャンプした男は転倒し、夫妻の足元に滑り込んでしまうのだが、これはわたしには「めっちゃ危険なシーン」で、犬はともかく、こんなことをやらかしてしまう少女というのは「非常識」もいいところであり、娘を監督しなかった両親は娘以上に責任が重いと思う。だというのにみ~んな「危なかったねえ」程度の判断で、笑い話にしてしまう。わたしには「ちょっと、それはないんじゃないか?」という感じ。
 しかもそのすぐあと、今度はクレー射撃競技のシーンになり、これは標的が空に放たれて射撃者が引き金を引くまでは周囲の人たちは「沈黙」を守らねばならないというのに、またもやその娘が「しゃべり声」を上げてしまう。
 ちょっと、冒頭の映画の「つかみ」の部分で、連続して一登場人物が非常識をやらかし、そのことを周囲は特に問題にせずスルーするというのは、わたしには「もう映画に入っていけません」みたいな感じだった。

 こういうことはいくらでもあとがあって、実は主人公夫妻の目の前で、そのサンモリッツで知り合ったルイというフランス人(実は冒頭にスキー・ジャンプを行っていた男)が遠くから狙撃されて死ぬのだが、息絶える前に妻のジルに「ホテルの自分の部屋にあるブラシをイギリス領事に届けてくれ」と言い、部屋の鍵をジルに渡す。
 ジルはそのことを夫のボブに話し、ボブはルイの部屋へ行き「ブラシ」を見つける。ところがボブはイギリス領事に会うことが出来ない。そんな時に彼は「娘は誘拐した。何も話すな」という脅迫文を受け取る。

 わからないのだが、ボブとジルはスイスで娘をさらわれているというのに、ふたりでイギリスに戻って来ている。警察がサンモリッツで死んだルイという男と夫妻の関係を知ろうとし、娘が夫妻と一緒に帰国していないことも知っている。なのにこのボブとジルの夫妻はルイの部屋の「ブラシ」の中から一枚のメモを見つけ、自分勝手にそのメモの謎を解こうとしている。
 わたしにはまったくわけがわからない。一切の論理的な思考がここでは無視されているようだ。メモの謎を解けば娘が戻って来るのか。なぜサンモリッツで娘を誘拐されているというのに、そのことを放置してイギリスに戻って来ているのか。一歩遅れてでも、なぜ夫妻はメモのことをイギリス領事官に伝えようとしないのか。まったくわからない。

 ここになぜか外務省のギブソンという男が出現し、ボブと行動を共にしようとする。けっきょく、娘を誘拐した連中はある要人を暗殺しようとしているわけで、その暗殺請負人へのメモを伝達しようとしているらしい。暗殺は「ロイヤル・アルバート・ホール」でのクラシック演奏会会場で行われるらしい。

 どうでもいいから途中の経過は省いて、ラストはヒッチコックらしくもない警官隊と暗殺組織との派手な撃ち合いとなり、それはそれで面白かったりもするのだが。

 この映画は当時イギリスではけっこう成功したらしいのだが、わたしにはこの映画の何が面白いのかまったくわからなかった。ただ観ていて「なぜ主人公らはそ~んな考えられない行動を取るのか?」ということばかりを思っていた。おそらく、わたしが今までに観たいろんな映画の中でも「ワースト・テン」にはランクインする作品だったと思う。ヒッチコックだろうと何だろうと、ダメなモノはダメだ。「悪夢」のような映画だった。