ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『サーカスの子』 稲泉連:著

 先日観た、ロバが主人公の映画『EO イーオー』の冒頭のシーンがサーカスだったりしたもんで、そういうことでもこの本を読んでみようと思ったのだった。

 著者の稲泉連という人は、『ぼくもいくさに征くのだけれど-竹内浩三の詩と死』で2005年に「大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞され、以後何冊かの本を出版されている気鋭のノンフィクション・ライターなのだという(わたしはこの本を読むまで、まるで知らない人だったが)。
 それで実はこの方の母親が久田恵という方で、稲泉氏を育てるシングルマザーとして、ちょっと破天荒な生き方をされた方であり、1986年に『サーカス村裏通り』という著作でやはり「大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞されているのだった。

 このお母さん、稲泉氏が小学校に上がる前の一年間、「サーカスで子育てをしたい」と「キグレサーカス」で炊事の手伝いをし、稲泉氏はその一年間をサーカスのテントで暮らし、まさに「サーカスの子」になったのだった。

 ‥‥サーカスねえ、サーカスのことを考えると、何か自分のこころの奥底のノスタルジックな琴線がくすぐられるようなこころもちがしてしまう。この本に書かれているように、「サーカスに連れて行かれるよ!」という子供への脅し文句も、言われたことはないけれども知っていたし、サーカスの芸人は小さい頃に「お酢」を飲んで体を柔らかくする、という話も知っていた。そしてわたしだって、幼い頃に親に連れられて「サーカス」を見に行ったという記憶はある。その「サーカス」も、この本の舞台になった「キグレサーカス」だったのではないかと思う。ただ記憶しているのは、オートバイが大きな球体に組まれた「檻」のような中でグルグルと重力を無視したようなアクロバット走行をみせる芸だけで、それはこの本を読むと「アイアン・ホール」とかいう呼び名のようで、やはりサーカスの出し物の中でもクライマックス的な位置にあったものらしい。

 この頃日本のサーカス団はこの「キグレサーカス」と「木下サーカス」の2つしか残っていなかったらしいけど、戦後の1950年代とか60年代にはかなりの数のサーカス団が「群雄割拠」状態だったのだという。
 この本に出て来る「キグレサーカス」も、2010年には営業を停止して解散してしまったらしいけれども、「木下サーカス」は今でも「木下大サーカス」として興行を打っているし、大阪に「ポップサーカス」というのも出来ているようだ。

 実はこの頃、サーカスには夫婦の団員がいたというのはごく普通のことで、当然子供もいるわけで、この著者の稲泉氏が「サーカスの子」になったとき、年上や同年代の「サーカスの子」が何人もいて、いつもいっしょに遊び、サーカスが始まるとテントの客席の傍らでたいていの子は自分の親の芸を見ているのだった。
 しかしそんな「サーカスの子」らのいちばんの問題は、就学年齢に達したあとの学校のことで、サーカスというのはだいたい2ヶ月単位で興行地を変えるわけで、そのたびに子供は転校するのである。そういうことを考えて、子供が就学年齢になったらサーカスから退団してしまう親も多く、稲泉氏のお母さんもそれでサーカスはやめてしまう。
 でも中には中学卒業まで「サーカスの子」で居続ける子もいて、中学卒業までに百回以上も転校を繰り返した子もいたらしい。

 そんな「サーカスの子」らには、中学や高校を出ると親のようにサーカスの団員になる子も多かった。
 また、「子供が学校へ行くから」とかその他の理由でサーカスを退団した人たちは、つまりは「社会経験ゼロ」からいきなり社会に出ていったわけで、苦労も多かったようだ。

 この本は、稲泉氏のお母さんが偶然に、何十年ぶりに当時のサーカスの人に再会したことから、稲泉氏もあとにその人を訪ね、さらにそれをとっかかりに当時の「サーカスの子」ら、またサーカス団員の行方を探って会いに行く、という本ではある。
 「社会経験ゼロ」とはいっても、芸人として適応力があったのか、皆がしっかりと「アフター・サーカス」生活に適応していたようだ。そんな人の語る悲惨な話では、「酒の自動販売機の前で倒れて息絶えていた元サーカス芸人」とかもいたというが。

 ただこの本で稲泉氏が聞く話はそういう「アフター・サーカス」の話がメインではなく、「どうやってサーカスの芸人になったのか?」とか、「サーカスでの生活」の話などで、その中からまさに「サーカスのテントの中の世界」が浮かび上がってくる。それはサーカス団みんなでひとつの「家族」という世界ではあるし、「非日常の日常」という「夢の世界」ではあったのだ。
 新しく芸に取り組もうとする芸人がサーカスの芸ひとつひとつをマスターして行く記録でもあるし、わたしらが知る「社会」とはまた異なった「社会」のあり方を伝える記録でもあると思った。

 わたしは記憶力が良くないので、この本に「こんなことが書いてあった」とかあまり具体的な感想を書くことが出来ないけれども、とにかくこの本を読んでいるあいだは、自分の意識もまたサーカス団のテントの中を行き来しているような気分でいた。もういちど読み返したい。