ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『オリーブの林をぬけて』(1994) アッバス・キアロスタミ:製作・脚本・編集・監督

 前に観た『友だちのうちはどこ?』と『そして人生はつづく』とこの作品とを合わせて、「ジグザグ道3部作(コケール・トリロジー)と呼ぶらしい。コケールというのは、この3作の撮影地の地名。

 この『オリーブの林をぬけて』は、前作『そして人生はつづく』の中で登場した、地震の翌日に結婚したという話をする若い男のことを、再び映画にしようとする話のようにみえるが、もちろんそんな単純な話ではない。
 映画の冒頭に「私は監督役のモハマッド・何某」と中年の男がカメラに向かって自己紹介するが、この男性は『そして人生はつづく』で監督を演じた男性とは別人で、その監督を演じた男性は、ここではこれから撮られる映画の俳優というところではあるが、その「これから撮られる映画」は、『そして人生はつづく』の中で出て来るシーンと同じなのである。

 つまりこの作品は「映画を撮影するところを捉えたドキュメンタリー」を装ってはいるけれども、もちろんフィクションだという「モキュメンタリー」である。このカメラの外には実際の監督であるキアロスタミ氏がいるわけで、さらにこのモキュメンタリーの内容はまた、『そして人生はつづく』と同じ監督役の人物が登場するわけであるからして、監督が3人いるというか、「映画の中に映画があって、さらにその映画の中にまた映画がある」という構造みたいだ(但し、このモキュメンタリーの中では映画監督役の人物は映画を撮ろうとしているようには見えないが)。
 で、この作品では、『そして人生はつづく』に登場した「地震の翌日に結婚した」という若い男と監督との会話を、そっくりそのままもう一度撮ろうとしているみたいだ。
 そしてこの作品のメインになるのはつまり、この映画内で映画内監督と会話する夫婦は、じっさいには男性が女性に求婚していて応じてはもらえない段階で、男性は女性に口をきいてさえもらえないのだ(そのことが映画撮影に大きな支障ともなる)。女性とその母親の意向では、男性が字を読めないということが結婚に応じない大きな理由らしい(女性の方は読み書きはできる)。

 それでまずはこの作品では、監督が出演する女性を集まった女性らの中から選ぶシーンから始まるのだが、出演の決まったタヘレという子は、撮影用に知人からド派手な服を借りて来て、「それでは田舎の子に見えない」と言っても、「まずは一度着たところを見てくれ」と譲らず、スタッフが用意するハメになったり、いろいろと騒動がつづく。
 最初に男性役で決まっていた男は、いざ撮影となるとセリフをしゃべれない。「どうしてセリフを言えない?」と聞くと、「女の子の前ではあがってしまってしゃべれない」などというものだから、それまで雑用係だったホセインという男を夫役で出演させることにする。このホセインが、妻役のタヘレに結婚を申し込んでいたわけだ。

 ここでも撮影時にホセインがセリフを間違えたり、タヘレがホセインと口をきくのを嫌ってセリフを言わなかったり、とにかくなかなか撮影は進まない。撮影の合い間にホセインはまたタヘレに求婚して口説きはじめるし、話は「映画の中の現実」と、「映画の中の映画」とで錯綜して行く。
 監督がホセインに詳しい話を聞いたり、アドヴァイスをしたりしながらも、何とかその日の撮影は終了する。

 帰りはホセインらはミニバスで家に送ってもらうのだが、タヘレは「家への近道を知っているから」と、一人歩いて行く。意を決したホセインは、ミニバスを降りてタヘレを追って行くのだった。タヘレに追いついたホセインはオリーブの林の中を歩きながら、切々と求婚の意志をまた伝える。一度は「ここまで」とタヘレを見送るが、それでもジグザグ道を登って行くタヘレをまた追って行く。
 カメラはロングで林をぬけて行くタヘレを俯瞰するが、ホセインは意を決したようにタヘレを追って行く。カメラの奥で小さな点になってしまったような2人は何かを話しているようだが、そのうちにホセインは一人、走って戻って来るのだった。

 ここでわたしがわからないのは、このホセインを演じている男性は、『そして人生はつづく』でやはり同じ役を演じていた男性のようであり、撮影場所も語られるセリフもまるで『そして人生はつづく』と同じなわけで、そうすると『そして人生はつづく』はまったく「ドキュメンタリー」などではなく、このホセインの出て来たシーンは完全なフィクションではないのか、ということ。
 ただわたしは『そして人生はつづく』での監督とホセインとの会話でホセインが結婚したのは今(その撮影時)から5日前で、地震が起きたのはその前の日、つまり「6日前」ということを信じてしまっていたわけで、そうだとしたらとても「フィクション」をつくり上げる時間はないだろうと思い、このあたり『そして人生はつづく』で描かれたことはじっさいにほぼ「ドキュメンタリー」だったろうと思ったのだった。
 しかし、この『オリーブの林をぬけて』での撮影風景が、『そして人生はつづく』の撮影を再現したのだとしたら、そういった考えがみ~んな覆されてしまう(ただ、この冒頭の撮影風景に写る「カチンコ」には、『そして人生はつづく』ではない架空の映画タイトルが書かれていたらしいが)。

 つまり問題は、『そして人生はつづく』はじっさいに「地震のあと6日目」に現地で撮影されたのかどうか?ということになるが、ここにもうひとつ大きなヒントが『そして人生はつづく』の映画の中にあったわけで、それはサッカーのワールドカップ大会の日程のこと。
 『そして人生はつづく』の最初の方で、車の中で監督の息子のプーヤは、「地震の日はテヘランでサッカーがあったから、みんなテヘランに行ってたよ」と言うのだが、この年のワールドカップはイタリア大会だから、テヘランで試合はありえない。それはともかく、プーヤはその日の試合は「スコットランド対ブラジル」だったと言い、お父さんの監督は「アルゼンチン対ブラジル」だったろうと言う。これはプーヤの方が正しく、6月20日のことである。地震が起きたのは21日の深夜0時30分だったというから、20日と同じだろう。「アルゼンチン対ブラジル」は決勝トーナメントの最初の一戦で、6月24日だ。しかしこの映画の設定日が地震から6日目だとしたらそれは6月26日か27日のことになるから、監督が地震のあった日に「アルゼンチン対ブラジル」戦があったと思うのはちょっと不自然な気がする。
 さて、決定的なのは終盤に皆がその日が「ワールドカップ決勝」だからとテレビを見たがるのだが、この年の「ワールドカップ勝戦」は7月8日なのである。つまり、この『そして人生はつづく』の撮影日は(セミドキュメンタリー風に撮っているとすれば)7月8日で、地震からは18日ぐらい経過してもいるわけで、ある程度被災地で「フィクション」映画を撮る余裕も出来ていたのではないかと思う。

 つまり簡単に言えば、問題の「新婚の男性」と監督が会って話をしている日は、地震から6日目とかではなく、もう18日は経っているときのようだ。「よく震災から6日目であんな映像を撮影したな」と思ったのは、しっかり間違いだったのである。
 で、『そして人生はつづく』ではそれなりに「フィクション」として映画を撮影する時間的余裕はあったのだろう、ということになる。いろいろと考え直さなくってはならない。

 あと、この『オリーブの林をぬけて』でホセイン役の男性は、めっちゃ長いセリフをよどみなく延々と語ってもいるわけで、これは「脚本を憶えて」しゃべっているのか、それともホセインの置かれたシチュエーションの中である程度自由にしゃべっているのか、ということもよくわからない。わからないことの多い映画だった(そうだ、『友だちのうちはどこ?』のあの男の子と、兄弟の「友だち役」の子は二人とも、成長して大きくなった姿をみせてくれて、ホッとしたのだった)。