ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『そして人生はつづく』(1991) アッバス・キアロスタミ:脚本・編集・監督

そして人生はつづく [DVD]

そして人生はつづく [DVD]

  • ファルハッド・ケラドマンド
Amazon

 キアロスタミ監督が『友だちのうちはどこ?』を撮ったあと、1990年6月21日にテヘランの北西部を中心に広範囲に及ぶ大地震が発生し、死者は3万から5万人、負傷者は6万から10万人と推定された。
 被害の大きかった地域は『友だちのうちはどこ?』を撮影した地域でもあり、まずは映画で主演したアハマッド役の少年の安否確認のため、監督は息子のプーヤといっしょにその地域へと車で出かける。

 この、車に乗った監督と息子のプーヤの旅程を捉えたドキュメンタリーと見える映画だけれども、リアルなドキュメンタリーならば決してこのような撮影は出来ないだろう。そういうわけでこの作品はドキュメンタリーを模した「セミ・ドキュメンタリー」であり、車を運転している映画監督とみられる男性はキアロスタミ監督ではなく、俳優が演じているという事だった(息子の「プーヤ」もまた、英語版Wikipediaに書かれているキアロスタミの息子の名前と違うので、その監督を演じた俳優の子供だった可能性が強い)。
 おそらくはキアロスタミ監督はカメラマンと共に、別の車で撮影しながら走っていたわけだろうし、こういう災害の直後だけに、その場その場で「何を撮るか」を選択し、あとは編集作業にまかせるような撮り方だっただろう。そういう意味では「メタ・ドキュメンタリー」とも言えるか。そして、「前作でアハマッドを演じた少年を捜す」という旅は、その前作『友だちのうちはどこ?』のストーリーをなぞるようでもある。

 監督親子はまず『友だちのうちはどこ?』の撮影地であったコケールへ行こうとするのだが、コケールへの道はほとんどが崩れるか渋滞しているかのようだ。渋滞した幹線道路を避けて脇道へ入ったり、道沿いにいる人に道を聞いたりしながら、目的地に近い集落に着く。監督はそこで生活をつづける人たちに、地震の被害のことなどの話を聞く。
 そんな人々の中に、地震の翌日に結婚したという若い男の話を聞く(妻はそこの2階で花に水をやっている)。話では自分らの親族関係は皆地震で亡くなってしまい、逆に地震前から結婚は決めていたことだからと2人で式を挙げたのだという。もう2人の結婚に反対する人はいなかったのだ。

 ここでも「青いドア」の家があり、『友だちのうちはどこ?』から続いて「青いドア」の家が多い。わたしは『友だちのうちはどこ?』のときは映画のためにドアを青く塗ったのかとも思ったのだったが、これはもともと「青いドア」の家が多い土地なのだろう(そもそも、イランには多いのか?)。

 車に乗って先に進むと、途中の道で『友だちのうちはどこ?』に出演していた少年(教室で「背中が痛い」と言っていた子)に出会う。少年は被災者らが滞在しているテント村へ行くところで、監督は彼を車に乗せていっしょにテント村へ行く。
 テント村ではテレビを見るためにアンテナを立てているところで、実はこのとき、サッカーのワールドカップが開催されていて、この日が「決勝戦」だったのだ。調べると開催地はイタリアで、決勝戦は西ドイツ対アルゼンチンだったようだが。
 監督の息子はテレビでサッカーを見たがり、監督はしばらく息子をそのテント村に預けて、もうちょっとで到着出来そうな目的地へ向かう。

 進みながら、やはりテレビのアンテナを設置しようとしている男の脇を通り、「こんな災害のあとでもテレビを見るのか?」と聞くが、「ワールドカップだからね。4年に1回のことだから」という答え。それで歩いている人を車に乗せてあげたりしながら、『友だちのうちはどこ?』のチラシをみせて「この子の安否を知らないか」と聞くのだが、乗せてあげた子は「つい20分前にこの道の先に歩いて行ったよ」と言う。
 遥か丘の上遠くに、2人の少年らしい人物が歩く姿が見える。カメラは遠くからのロングショットになり、丘への登り道を上がっていく監督の車を捉えるのだった。

 この映画が撮影されたのは、映画の中での言葉では地震から5日目ぐらいのことらしいが、被災地への道路ぞいでは不十分ながら食糧や飲み物を売るところがあったりする。監督の息子はコーラ瓶を買ってもらうが、ぬるくなっていて美味しくないと、残りを捨てようとする。そうするととなりを走っていた車の中の女性が「赤ちゃんに飲ませるから捨てるならちょうだい」とカップを差し出して来たりする。
 被災地では男たちは瓦礫を片づけているし、女性たちは水場で洗濯や洗い物をしている。

 こういうところは日本とは風土も地勢も異なるから比べられないけれども、この20年後の日本の「東日本大震災」のときと、比べてしまいたくなる。やはりイランの人たちは信仰心から、映画の中の被災者が語ったように「神様のなされたことだから」という考えが根底にあるのだろうか。どちらにせよ、被災者たちはいつも、想像するよりもたくましいものだと思う。こういう状況下で映画を1本撮ってしまうキアロスタミ監督もたくましい(この映画の「製作」はキアロスタミではないので、その「製作」の人物がこのとき、キアロスタミに「映画を撮ろう」と言ったのだろう)。

***(コレを書いた翌日にキアロスタミ監督の次作『オリーブの林をぬけて』を観て、この『そして人生はつづく』について重大なことに気付いた。そのことを活かすといっぱい書き直さなければならないし、どう勘違いしたかを記録しておくにもここはこのままにしておき、『オリーブの林をぬけて』について書くときに合わせてそのことも書きたいと思う)***