ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2014) エマニュエル・ルベツキ:撮影 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ:製作・脚本・監督

 昨日観た『レヴェナント:蘇えりし者』の前年に製作された、やはり撮影:エマニュエル・ルベツキ、監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥによる作品。『レヴェナント』は200年前の文明から離れた雪原の中の話だったけれども、この『バードマン』は現代ニューヨーク、ブロードウェイで演劇公演を立ち上げようとする男の話だった。

 この映画では撮影は「全篇が1回の長回し撮影された」かのような撮影・編集をされていて、それも興味深いのだけれども、わたしはこの映画では「脚本」があまりに素晴らしい。
 この作品、まさに「虚実ないまぜ」となったアイロニーに満ちた作品なのだが、そのことが「演劇」と「現実」、そして「演劇」と「この映画」、さらに「この映画」と「映画の中の現実」、さらに「映画を観ている人の現実」との境界がないまぜになったような作品だと思った(このことを以下具体的に書いて行こうかとも思っていたのだが、そういうことはわたしの筆力ではむずかしかった)。

 この作品の主人公はマイケル・キートン演じる「落ち目のハリウッド俳優」リーガン・トムソンで、この作品はほとんどが彼の視点から描かれている。まず面白いのが、このリーガンという俳優、かつて架空のヒーロー映画「バードマン」シリーズの主役を演じて人気を博していたわけで、そのことはマイケル・キートンが現実にかつてティム・バートン監督の『バットマン』シリーズでヒーローを演じていたことにダブることになる。

 彼は自分で製作・脚本・演出・主演をやってレイモンド・カーヴァ―の短編小説の舞台化を目論んでいて、じきにプレビュー公演を迎えるところまで来ている。ちなみに、薬物依存症から脱した娘のサム(エマ・ストーン)が、リーガンの「付き人」を勤める。
 映画をみるとこの男、サイコキネシスだとか空中浮揚だとかの「超能力」を持っているように描かれているけれど、それがリアルなことなのか、彼の妄想を描いたものなのかはわからない。ただ映画が始まってすぐに、彼は相手役の俳優の演技が気に入らなかったらしいのだが、その相手役の頭上に照明器具だかが落下して入院してしまう。いちおう「事故」のようなのだが、主人公の意識的な・もしくは無意識な願望がこの事故を招いたようではある(ずっとあとには、主人公がハリウッドで演じた「バードマン」が彼について歩き、ついにはリーガンもバードマンのように路上から飛び上がり、空を舞うことになる)。

 では穴のあいたその役のことはどうするか?となったとき、その舞台でリーガンの妻を演じるレズリー(ナオミ・ワッツ)の同棲相手であるマイク(エドワード・ノートン)のスケジュールが空いているからとレズリーに言われ、マイクに決定する。マイクはブロードウェイでは知られた役者で、レズリーの自宅での「本読み」を手伝ったりしてるので、この脚本もほとんど頭に入っているのだ。
 マイクが役者として有能であることはいいのだが、彼の行動はリーガンの癇に障ることばかりだし、舞台ではリーガンの妻であるレズリーと、そのマイクとが「不倫関係」になるのだが、ここで舞台の脚本や演出を離れて、二人が現実に「愛人関係」であるということが演技に投影されてしまうのだった(ちなみに、舞台にもう一人登場する女性の役者は、いま現在のリーガンの愛人なのだ)。

 プレビュー公演もすっかりマイクに乗っ取られたかたちで、新聞の演劇欄でもマイクの記事がいちばん大きく取り上げられ、リーガンの記事は別ページに小さく掲載されるだけだった。しかしそんなプレビュー公演の最終日、ちょっとしたアクシデントからリーガンは公演中に劇場前の大通りをブリーフひとつで歩くことになり、一般人の撮影したその動画はSNSで100万回も閲覧され、公演は一気に注目を浴びるのだった。

 本公演の前夜、リーガンは劇場近くのバーで有力な演劇評論家のタビサに出会い、話をするが、彼女は「わたしは映画界から演劇界へ勝負をかけて来る人物など大っ嫌いで、酷評してやる!」と、映画業界、俳優への罵倒雑言を聞かされる。

 あいだのことは抜かして書くが、それで映画のラストはまさに「バードマン」とリーガンとが重なるようなラストになる。

 ラスト近くに、病室で寝ているリーガンと、娘のサムとが会話を交わす場面があるけれども、この場面での撮影の「採光」は、『レヴェナント』での光を思い出させられる、とても美しいものだった。

 だいたい映画のはじまりからして、そのシーンは舞台出演者四人による「読み合わせ」的場面なわけだけれども、その語られる内容があまりに「日常的」というか、観ていてそれは友人たち四人がテーブルを囲んで「世間話」をしているシーンなのかと思い、ここでの演出は「映画内の現実」を「映画内の演劇」とをわざとあいまいにしたものだっただろう。

 けっこう喜劇的な展開も多く、観ながら声を出して笑ってしまうこともよくあったのだが、わたしは稽古のあとの楽屋で、マイクとけんかしたレズリーが「どうしてわたしはプライドがないのかしら?」と嘆くのを、別の女優が「女優だから、でしょ?」って受け答えたシーンで、いっぱい笑かされてしまった。