ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『哀しみのトリスターナ』(1970) ルイス・ブニュエル:脚本・監督

 「ついに、フェルナンド・レイが登場して来た!」などと、昔ブニュエルの映画を観た記憶で、いつもフェルナンド・レイが出演していたように思っていたもので思ってしまったが、じっさいには彼はブニュエルの作品には3~4本出演しているだけだった。まあ、この『哀しみのトリスターナ』のあとは、ブニュエルはあと3本しか撮っていないのだけれども。

 さて、この『哀しみのトリスターナ』は、昨日観た『昼顔』のあと、1969年の『銀河』をはさんで1970年に撮られたもの。『昼顔』はそのラストに大きな「謎」があって、「どう解釈する?」みたいなことがあったわけだけれども、この『哀しみのトリスターナ』には、「わからん」というような「謎」はなかったと、わたしには思えた。『昼顔』のヒロインは「マゾヒスト」だっただろうけれども、この『哀しみのトリスターナ』のヒロインは、そうすると「サディスト」なのだろうか。一種の嗜虐性はあるようだが。

 16歳のトリスターナ(カトリーヌ・ドヌーヴ)は母親を亡くし、父親もいなかったことから、その葬儀の帰りに老貴族のドン・ロペ(フェルナンド・レイ)の養子として迎えられることになる。
 トリスターナは貞淑で無垢な少女だったが、ドン・ロペは彼女に惚れた様子で、彼女に厳しい戒律を命じて屋敷の外にもあまり出さないようにする。そのうちにロペはトリスターナを「手ごめ」にし、「養子であり妻」という関係になる。
 侍女のサトゥルナはロペを「不道徳」と思い、トリスターナが屋敷を出るのを手伝ったりする。そうしてるうち、トリスターナは絵描きのオラーシオ(フランコ・ネロ)と知り合う。トリスターナが男と会っていることを知ったロペは激怒し、トリスターナを激しく攻めるのだが、おそらくはそのことがトリスターナに余計に「ロペから離れたい」という気もちを強くさせただろう。トリスターナはオラーシオと町を出るのだった。

 2年後、ロペはサトゥルナから「トリスターナが町に帰ってきてる」と聞かされる。実はトリスターナは脚に腫瘍が出来、もう余生も短いと、オラーシオがロペのところに連れ戻しに来たのだった。
 オラーシオはトリスターナを見捨ててさっさと消え去り、ロペは医者にトリスターナを診せるが、「片脚切断」でトリスターナの命は救われる。
 そしてトリスターナの性格は全く変わってしまい、ロペを心理的に虐げるようなことばかりをやるのであった。このときにはロペも高齢のためかすっかり丸くなってしまっていただけに、余計にトリスターナの「変心」はきびしいのだ。そして‥‥。

 ‥‥この映画でちょっとがっかりしたことがあって、それは映画の内容に関してではないのだけれども、すべてのセリフが「スペイン語」に吹き替えられてしまっていることだった。
 これはなぜかこの「日本公開版」がオリジナルではなくって「スペイン語版」を使ってしまったのか、と思ったのだが、Wikipediaでこの映画の項をみると、「言語:スペイン語」と書かれていた。つまり、この皆がスペイン語をしゃべっているのが「オリジナル版」なのだ。そして残念なことに、この映画ではカトリーヌ・ドヌーヴの実際の「声」は、まったく聴くことが出来ないのだ。
 せっかく、この映画でのカトリーヌ・ドヌーヴは『昼顔』のときよりも美しいのではないかと思えただけに、残念なことであった。

 この映画でドン・ロペは冒頭では貴族といっても「没落貴族」で、食材を買う金もないようなことも語られ、金の装飾器などを売るのだが、そのときに業者の言い値で売り、知人から「なんてバカな!」と言われるのだが、ロペのプライドは業者の言い値を上げさせるに堪えられないのだ。彼は「労働ほどくだらないことはなく、生活のために働くなど愚かだ」という。
 彼は詭弁使いの偽善者でもあり、そのような男に育てられたトリスターナが、ロペとの力関係を逆転させ、以前の復讐かのようにロペを精神的に虐げるのは、けっこうストレートに理解出来る気がする。