東宝怪獣映画として初のカラー映画。この映画はストーリーにせよ特殊技術にせよ細部までしっかりした作品で、優れた名作だと思う。
まずはなかなかラドンは登場しなくって、九州の炭鉱(阿蘇山近くという設定)の坑道に古代トンボの幼虫(ヤゴ)のメガヌロンが現われ、鉱夫が殺されることから始まる。この鉱夫の死も、直前に鉱夫同士のケンカがあったことから、ケンカの相手が殺人犯と疑われたりもする(その人物も行方不明なのだが)。
炭鉱技師の河村は、犯人と疑われる男の妹のキヨを慰めに行くが、そのときにキヨの家の中にメガヌロンが入って来て、人々にその姿を見せるのである。
このメガヌロンの造形が良く出来ていて、複眼を持つ顔も迫力あるし、全身を見せてモコモコと体を振りながら進む姿もリアルだ。ちなみにそのメガヌロンが近づくと「ピョコピョコ」というような高い音を発するところは、やはり『放射能X』の巨大アリの影響だろうか。
河村らは自衛隊と共にメガヌロンを追って坑内へ行き、機関銃を発砲するのだが、坑道が崩壊して河村一人地下に閉じ込められ、行方不明になる。
阿蘇山の活動に不穏なところが見られるようになり、同時に周辺の家畜がいなくなったり、阿蘇山に登ったカップルが死体で発見されたりする。カップルの持っていたカメラには、不思議な影の写った写真が残されていた。
その阿蘇山中腹で大きな地崩れが起こり、調査する人々の前に地下から河村が現われる。救出された河村は完全な記憶喪失状態だった(この部分もまた、『放射能X』での目撃者少女の反応を思い出させられる。
病院で療養する河村は、鳥かごの鳥の卵が孵化するところを見せられ、そのために地下で巨大な卵から巨大な鳥が孵化するのを目撃したことを思い出すのだ。実はメガヌロンは孵化した巨鳥の「かっこうのエサ」になるのだった。
河村の目撃談、死んだカップルの残した写真から、それは先史時代の翼竜・プテラノドンに似ていると判断される(この判別法自体は大きな疑問もあるが)。
そしていよいよラドン登場。まずは空を飛ぶところを目撃され、「国籍不明機」として追跡されるが、なんと音速を超える速度で飛行するのである(地球の動物にそんなことが可能なのか?)。おかげでソニックブームを起こす力を持っているのだ。
自衛隊機の追撃を受けたラドンは(いつの間にか呼称は「ラドン」になっていた)、攻撃を受けて弱りながらも福岡の市街を襲撃することになる。さらに自衛隊が陸空から攻撃を加えるが、とつじょもう一頭のラドンが現われ、2頭はいっしょにどこかへと飛び去って行く。
専門家の博士は、ラドンは帰巣本能で阿蘇山に戻っていることだろうと推理し、阿蘇山火口付近に集中攻撃をかけようということになる。しかしそれでは阿蘇山の大噴火を誘発するのではないかとの危惧が語られるが、「この際、火山が噴火してそれでラドンが死ぬならばやむを得ない」となる(コレはそのまんま、『昆虫怪獣の襲来』のラストと同一ではある)。
しかし、このラドンに襲撃される福岡市街のミニチュアは驚くべき精度でつくられていて、まずは広告塔、ネオンまでそっくりに再現した福岡市街の精巧さ(電車の一台一台まで)はおどろくばかりだし、ラドンのはばたきのあおりで建物の屋根瓦は一枚一枚がバラバラにぶっ飛んで行くし、ラドン攻撃の終盤に炎に包まれる市街地の映像は、その炎の大きさからも「これって現実の映像なんじゃないの?」って思わせられる。今ならばCG技術でこ~んなことPC内で出来てしまうことだろうけれども、この映像のクォリティは「これが実際につくられたもの」ということで、CGを凌駕しているように思える。
この作品でも、そんな有史時代以前の動物の復活に「核実験の影響」も語られるし、映画の冒頭では本筋とは無関係ながら、「地球温暖化」ということも雑談の中で語られる。そうか、1956年というときにも「地球温暖化」は問題視されていたのかと思う。
ラドンはどっちかというとただ飛び回って「ソニックブーム」を武器にしているだけで、もうちょっと別の活動を見たかった気もするが、それは「高望み」だろう。ラスト、阿蘇山の溶岩に焼かれる2頭のラドンには強い「哀しみ」を感じさせられた。また、「最初の目撃者」「ラドンを攻撃する作戦会議」そして粗い描写ながら「ラドン来襲の被害者」それぞれの視点がトータルに描かれ、バランスの優れた作品になっているし、不完全ながらほぼ主人公の河村と、キヨとのロマンスも描かれている。