ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『シン・ゴジラ』(2016) 庵野秀明:脚本・総監督 樋口真嗣:監督・特技監督

 こうしてみると、前に観た『大怪獣のあとしまつ』が、いかにこの『シン・ゴジラ』の影響のもとにつくられていたか、よくわかる。というか、『大怪獣のあとしまつ』はもうほとんど、『シン・ゴジラ』のパロディである。
 これ以前の「怪獣映画」というものはたいてい「現場中心主義」というか、怪獣の間近にいて怪獣を倒そうと尽力する人々が前面に描かれていたわけだけれども、この『シン・ゴジラ』では問題は「行政」の問題であり、ゴジラがちょくせつ見えるわけではない場所で、モニターを見ながら閣議で対処方針を決定することになる。そういうことで、この映画に登場するのは政治家、そして政治家の指示で動く自衛隊の人間ということになり、これだけ大勢の出演者(300人以上)が出て来ながら、いわゆる一般人は一人も出て来ない(もちろん、避難する人々の姿は映されるが、セリフがあるわけでもない)。
 キャッチコピーが「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」であったように、その「現実」部分をどれだけリアルに描くか、という課題があったようだ。
 これはじっさいに、先月大阪湾にマッコウクジラがあらわれ、その後その死が確認されたとき、「死骸をどうするか」ということを決めたのは「大阪市」であり、処理方法を発表したのは大阪市長だったわけだ。

 このあたりの「閣議決定」を、後発の『大怪獣のあとしまつ』ではコミカルに描いたわけだけれども、この映画では基本「シリアス」に描く。もちろんその中で、先の読めない政治家のことを観客は笑うことにはなるけれども。
 当初は東京湾での水蒸気噴出を「生物なわけがない」とした政治家、それが「巨大生物」だと判明したあとも、「(自重でつぶれるから)上陸するわけがない」と判断している。そんな中で、「先を先を」と状況を読める存在が内閣官房副長官矢口蘭堂長谷川博己)で、彼がこの映画の「主役」と言えるだろう。
 このあとも、東京の市街地に上陸したゴジラに、(市街地であるがゆえ)自衛隊に攻撃させるべきか逡巡するし、そのあいだにアメリカも口をはさんで来るわけだ。しかも、ゴジラの進行した地域には放射線が確認される。
 さいしょの総理大臣大河内(大杉漣)は、今までに経験のない事態に何ごとにも決定を逡巡しているが、ヘリで移動中にゴジラの発する光線に撃ち落とされ死亡、次の総理臨時代理の座に就いたのは里見(平泉成)だが、「総理の手腕はないだろう」と陰で言われ、じっさい「押し付けられた職務だ」とか「やりたくない」などの発言もあるのだが、これが意外なことに自分に権限を集中させ、ズバズバと決定を下したり海外との交渉で手腕を見せたりもする。

 自衛隊の攻撃を受けてやたらめったら「光線発射」したゴジラは、エネルギー浪費で動きを止めてフリーズしてしまう。そのフリーズ期間は2週間だろうと計算され、その2週間のあいだにゴジラを倒す手段を現実化しなければならない。一方アメリカはゴジラ撲滅のため、ゴジラのいる東京のど真ん中に核兵器を使用するつもりである。ゴジラが動き出すまでのタイムリミット、また核兵器使用までのタイムリミットも迫るのではある。

 さて、映像的に、わたしはこの映画でのゴジラの造形にはイマイチ同意出来ないというか、個人的にはわたしは『ゴジラvsビオランテ』あたりのゴジラの容姿がいちばん好きなのではある。特に、ゴジラがさいしょに上陸したときの「第一形態」(っていうの?)の姿は、あのまん丸な眼だとか、笑った方がいいのかマジメに観るべきなのか、迷ってしまった。
 それで、そのゴジラ上陸のときの惨状が凄まじいのだけれども、これは明らかに「3.11東日本大震災」のときの、津波の映像の再現であろう(ちょうど先日「3.11東日本大震災」のドキュメントを観たばかりだったし)。そういう意味で、「現実の大災害」が「ゴジラ」の姿をとって再現されているわけで、インパクトは強かった。

 演出的には、人間ドラマの部分のほとんどが閣僚会議であるとか「災害対策本部」のミーティングの連続というなかで、災害対策本部のメンバーにさまざまな独特の個性を持たせるなど、「見飽きない」演出になっていたと思う(わたしは、「環境省自然環境局野生生物課長補佐」という役どころの市川実日子の存在がよかったな~この役で「優秀助演女優賞」をいくつか受賞している~)。それと、主役的な矢口が会議、ミーティングの合い間に、他のメンバーと外で二人で対話するシーンを入れたのが、流れに変化をつけたという意味でとても良かった。

 ただ、「これは困った」というところもあるわけで、これは同じ意見の人が多いと思うが、「アメリカ大統領特使」として登場する、バイリンガルという設定の石原さとみで、まあこの役に似つかわしくない配役で、英語のアクセントもおかしいし、まったくナンセンスだと思った。こういうところにこそ、菊地凛子を使ってほしかったものだ。

 とにかく、「今までにない怪獣映画」として、まさに「リアル」な世界の中に「虚構」としてのゴジラがちん入する世界を、うまく描いていたと思う。もちろん、「ゴジラ」という災厄に巻き込まれた市井の人々についてはまるで描かれない作品なのだが、そこはさいしょっから捨ててかかっているわけだ。例えば主人公っぽい矢口にしても、妻も子供もいそうなのだけれども、姿を見せないどころか言及されることもない。登場人物はすべて「公人」なのである。