ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-10-16(Sun)

 Facebookに絡んだ「シャンタル・アケルマン」問題で、よその人には伝わりにくい事柄を昨日は長々と書いてしまい、「もうこの日記を読んでくれる人もいなくなるな」などとも思ったのだけれども(そういうことはまったく平気ではある)、気分がスッキリしたことを昨日書いたわけだけれども、昨夜は「この方はこの問題で何か意見を言って下さるのではないか?」という方がコメントをつけて下さった。この方はそもそもの「男性客よく最後まで見てたなー」と書いた方の友だちでもあられて、多少そちらの方に肩を持つようなコメントではあられたけれども、わたしは特に不快にもならず、コメントをしていただいたことをありがたくも読んだのだった。

 その方のコメントに答えるかたちでわたしも発言し、わたし自身の考えも少し前よりもまとまったようにも思ったが、そのあとになって、ちょっと意外な方から、わたしへの「エール」というようなうれしいコメントが寄せられた。
 まあわたしは自分の発言に対して反応がなくってもいい、とりあえずはわたしはスッキリしたのだからというような「自足的」な気分でもいたのだけれども、その方のコメントはわたしを勇気づけるものでもあり、読んで感謝するのだった。とりあえず、「書こうか書くまいか」という気もちを持ちながらもFacebookに投稿したのだけれども、その方からのコメントひとつだけで「歓喜」といえるようなもので、モヤモヤしたものを抱えて神経症的に生活をつづけるよりはるかに、「元気」をあたえられるもので、その「モヤモヤ」も今は吹っ飛んだ気分。ありがたいことでした。そして、ありがとうございました。改めて「感謝」の気もちを。

 今日は北のスーパーへ買い物に行った。昨夜、つくってあった「パエリア」があまりに不味いので捨ててしまって、今日の昼食の準備をしていない。その北のスーパーに「鶏そぼろ弁当」が売られていたので、東のスーパーの同じ弁当との「味くらべ」のつもりで買って帰り、昼食にした。
 まず価格で言えば百円近い差があって、つまり今日買ったスーパーの弁当の方がずっと安い。ただ、東のスーパーのそれは正確には「鶏照焼と鶏そぼろ弁当」といい、つまりそんなに大きくないとはいえ、「鶏照焼」が余計についていて、ココに「百円」の差があるかと。
 それでもなお、やはり相当に味には「差」があるかと思った(別にわたしは東のスーパーの応援をしようというのではないが)。
 まずは肝心の「そぼろ」の味がちがうというか、調味料~スパイスの加減がまったくちがう。いちおうわたしは、東のスーパーの方の「そぼろ」には「いい具合にスパイスが効いていて美味しいな」とは思って食べていたのだけれども、この北のスーパーの「そぼろ」ぐらいの味付けなら、軽く自分で調理できると思った。
 それと、同じように添えられている「炒り卵」の味もぜ~んぜんちがう。やはり「自分で調理しても同じ味」ではなく、「プラスアルファ」の味が欲しいのである。な~んて思った次第ではあった。

 その北のスーパーからの帰り道、道沿いに空き地があって雑草も茂っていたのだけれども、その空き地の真ん中に水道管が直立していて、その先には「蛇口」がついていた。以前はここにも家が建っていて、その家が取り壊された名残りなのだろう。

     

 そんな昼食の弁当がまたまたあまり美味しくなかったこともあり、夕食時にはまったく食欲もなかった。
 「何か食べなくては」と、前にたくさん買ってあったレトルトパックのパスタのクリームソースを使い、そこに「あさりの水煮」の缶詰をプラスしてのスパゲッティにした。まだ牛乳が残っていたのをプラスして美味しく仕上がったが、あとで「今ちょっと、冷蔵庫で在庫過剰なウィンナとかも入れてやればよかったな」などと思うのだった。