ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-10-04(Tue)

 ずっと、精神的に「不調」である。それがどういうことなのか、自分でしっかりと認識しきれないままになっていたが、どうやらその「原因」が認識出来た気がする。
 さかのぼればそれは9月の上旬のことで、その頃には「COVID-19」に感染したか?とか、その他のマイナス要因もあったのだけれども、大きかったのは自分がやっている「Facebook」での、ある発言に触れたことから始まる。
 その「ある人物」の発言は読んだときから不快で、いろいろと考えさせられたのだけれども、ついにこのところはもう「Facebook」は辞めよう、という考えにもなっていた。

 もうちょっとわかりやすく順を追って書かなくってはならないけれども、まずはその「ある人物」(この方は女性で、劇作家、演出家として「知る人は知る」人物ではあり、わたしもお会いして会話したことはある~だからこそ、「Facebook」で「友達」なのだが~)が、わたしも先に観たシャンタル・アケルマン監督の作品をご覧になられて、「男性客よく最後まで見てたなー 敬意」と書かれていたことから始まる。
 わたしもその作品を観ていた「男性客」のひとりではあったが、「よく最後まで見てたなー 敬意」などと言われるのがわからない。というか、普通に読めば、この短かい文章は、「(女性監督である)シャンタル・アケルマンの映画を観に来て、(何も考えずに)最後まで見ていた男性客、アホだよね!」という文としか読み取れない。
 まず、なぜ「男性客」と「性別」を規定するのかということだけれども、この文を書いたその「人物」は、「この映画は<女性>が観てこそ理解できる映画であり、そこになぜか紛れ込んで客席に座っていた<男性客>は<アホ>である」と語っているとしか、わたしには思えないのだった。
 こういう考えはもちろん「ジェンダー格差問題」の裏返しのようなところもあり、例えばサム・ペキンパー監督の作品を「男性映画」と規定し、そんなサム・ペキンパーの映画を映画館にひとりで観に来た「女性客」に、それを見ていた男性が「をいをい、女性がひとりでサム・ペキンパー映画を観に来てるぜ!」ということの「裏返し」であろう。
 しかし、わたしには「大ショック」だった。それはたしかに、わたし自身がそのシャンタル・アケルマンの映画を映画館で観るとき、そういった「フェミニズム」だとか「ジェンダー」とかの問題をまるっきし考えていなかったわけで、それは(彼女の文章を言い換えれば)「男のくせにシャンタル・アケルマンの映画を観に来てるアホ」、ということになるわけだ。

 それで、これはもうちょっと後になって思った(考えた)ことだけれども、去年わたしが「水戸芸術館」で観た『ピピロッティ・リスト展』にしても、思いっきり、作家の姿勢からしても「ジェンダリズム」満載の展覧会でもあったわけで、これまた、そういう視点をほとんど意識せずに展覧会を観たわたしは、ここでもまた「無自覚にピピロッティ・リストを観ているバカ男」とレッテルを貼られても仕方がないわけだろう。

 このことはわたしの行動にさまざまな影響を与えているようで、ひとつにはもうすっかり、「映画館へ映画を観に行く」という発想が浮かばなくなってしまっていた(となり駅の映画館では先日から、フランソワ・トリュフォー監督の特集上映が始まっていて、わたしは以前は気にしていたのだけれども、この一週間ほどはそのことは頭の片隅にも思い返されなかった)。ウチでも「サブスク」とかの配信で映画を観ることもなくなってしまっているし、あともうひとつ、最近は本を読んだあとに「その本のことを思い返してまとめる」ということをしなくなったのも、そういう「無意識の抑圧」によるものなのか、とも思う。
 「抑圧」と書いたが、やはり誰か他人に「あんた、まったく何も考えないで映画とか観てるじゃない?」みたいなことを言われれば(まあその「Facebook」の人は特定の「わたし」に向けて書いているわけではないのだが)、そういうことを超えてもう映画とか積極的に観ようというのは多少なりと「イヤ」にはなるし、まあ本を読むことは「年中行事」だからやめないとはいえ、読み終えたあとの「自己反省」みたいなことはやらなくなるわけだ。

 そういうことからも、今は「Facebook」を辞めようという気もちに傾いていたのだけれども(そもそも、どうやらわたしは「SNS」というモノに不向きなようだ)、実はいま現在、わたしに古くからの「知人友人」はすべて「Facebook」でのみつながっているわけで、わたしが今「Facebook」を脱退してしまうと、そんな「友達」として登録されている人たちのデータがすべて消えてしまい、まさにわたしは「ひとりぼっちの孤独」になってしまうのだ(「それもいいだろう」という考えもちょびっとあるが)。
 しかしこの日、「脱退」まではしなくっても単に「ログアウト」にとどめておけば、いつでも好きなときに「再開」出来ることもわかったもので、とりあえずは「ログアウト」をした。けっこうスッキリした。

 今朝は仕事に出ているとき、ケータイの速報で北朝鮮が「弾道弾ミサイル」を発射したとのことだったが、日本列島を横断して太平洋で海面に着弾したようだという。
 しかしこういう、自国内での産業の発展で国家を発展させるのではなく、武力で近隣国や世界を恫喝して生き延びようとする国家って、何なのだろうか。どうもこのところは、「ロシア」もこの路線にシフトしようとしている気配もある。それでやはり普通に考えると、こういう国家を影で支えているのが習近平の「中華人民共和国」なのではないのか、という印象になる。
 ‥‥じゃあ、アメリカを代表としている(「日本」もフォローしている)「自由主義陣営」が、この「インド太平洋枠組み」で「正当な力」を発揮しているかというと、それがどうもわからない。これはどこかで今の「ウクライナ情勢」に近いところがあるようにも思えてしまう。

 この日は写真がないので、昨日帰宅路の田んぼのあぜ道で見かけた「蒲(がま)」の穂の写真を。串刺ししたウィンナみたいで、このまま炉辺で火にかざして焼くと美味しくなりそうだ。